Brendon MoellerというDJ/プロデューサーは自己の可能性を一カ所にのみ留めておくことを極力嫌う性質（たち）のようだ。彼は大学在学中、バンドでドラムを叩いていたときにアンダーグラウンドな音楽の世界に触れるのだが、それ以前にも彼はピアノやトランペットはもとよりテニスにも熱中していたという。アシッドハウスやマンチェスター産のヒップホップ、初期のAphex TwinやThe Orbなどにのめり込んでいった若き日のMoellerの中で、やがて自らもエレクトロニック・ミュージックを作ってみたいという初期衝動に火がついた。しかし当時南アフリカで教師として勤めていた彼の収入ではドラムマシンやサンプラー、シンセなど高価な機材を買う余裕はなかった。どちらにせよ、Moeller自身、教師の職に対して不満を持っていたため、1994年には一念発起してヨハネスブルクを離れてニューヨークへ渡る。もちろんエレクトロニック・ミュージックに対する情熱が彼を突き動かしたのはまちがいない。はたしてニューヨークに移住した彼は、いよいよ自身が必要とし学ぶべきものに出会う。

ニューヨークに移住し本格的な音楽活動をはじめたMoellerは、さまざまな名義やコラボレーションのもとリリースを開始する。それらの初期リリースはどれもさほど大きなヒットにはならなかったものの、1997年にはMono Blanco名義でいくつかの10inchをSm:)e Communicationからリリースしたのを皮切りに、Francois KのWave Music / Deep Space MediaからはBeat Pharmacy名義でリリースを開始してようやく日の目を見始める。やがて彼はEchologistという名義でもリリースを開始するのだが、こちらの名義において彼は多様な音楽スタイルを取り入れるよりも、むしろ彼自身の音楽性を飾り気のない素直なかたちで表現することを主眼としているようだ。コラボレーションという要素も彼の活動において重要なものであり続けていて、それは現時点でも変わりはない。昨年にはRamadanmanとのコラボレート・プロジェクト「Shetland」としてリリースしたことも記憶に新しい。

サウンド自体がどのような道標を辿り、どのように表出するかという「フロウ（流れ）」を読み取る感覚は、Moeller自身が創る音楽にも如実に反映されている。彼の創る、うねるようなグルーヴを持ったダブ・テクノははっきりとしたシークエンスを辿るというよりも、むしろその境界を有機的に捩じ曲げて変化させるような独特の魅力にあふれている。彼のスタジオやプロダクションもこうした独自のフロウに基づいたメソッドの上に成り立っているのも、決して偶然ではないだろう。

あなたがニューヨークに移ったころ、それまでバンドでドラムを叩いていたあなたが、エレクトロニック・ミュージックへと駆り立てられた理由は何だったのでしょう。

南アフリカを去るころは、「苦労してプレイヤーを集めてバンドをやるより、すべてを自分ひとりでやったほうが理想的な音楽を創れる」と思っていたね。ニューヨークに移った直後は週6日ウェイターのバイトをやって、そこそこの生活をするだけの稼ぎも出来てからは外へ知り合いを作りに出かけていったり、一緒に音楽をやる仲間を探したりするようになった。僕がBeat Pharmacy名義でリリースした初期の作品のいくつかには、こうした他のミュージシャンとのコラボレーションが元になっているものもあるよ。コラボレーションという要素は、今も僕自身のクリエイティビティを刺激するものとして必要不可欠だといえるね。

最初に買った機材は何だったんですか？

最初に手に入れたのは、RolandのドラムマシンR8と、AlesisのシーケンサーMMT-8、NovationのBass Station、そしてAkaiのサンプラー。まず、この4つの機材を使いこなすことから始めた。サンプラーはいくつか買い替えたけど、最初に買ったのはS1000だったと思う。マスターの録音はまず4トラックのテープMTRからはじまって、そこからAlesisのADAT、Rolandの８トラックデジタルハードディスクレコーダーなどを経て、そしてついにPCベースのReasonに行き着いたってわけ。制作にPCを導入してからは、ReasonやCubaseを使いこなそうとどっぷりハマった。ハードディスク・レコーディングの信頼性が完璧なものになったあたりを境に、僕のスタジオは完全デジタル化された時期もあったんだけど、現在ではアナログ機材も少し戻ってきてるんだ。RolandのシンセJuno-106とか、僕が本当に好きなアナログ機材を中心にね。

音楽的にマジカルな瞬間を得るにはそれまでひたすらジャムを繰り返すことが何よりもまず前提条件になると個人的には思っていて、スタジオでは僕のまわりにある様々な機材を同時に走らせていろんなトライを繰り返すようにしてるんだ。そうしたジャムの中から、微細な変化や刺激を感じ取りながらね。よく「PCやソフトウェアははたして楽器足り得るのか？」って質問をされることがあるけど、つまみやボタン、フェーダーが付いたMIDIキーボードを繋げば結局のところそれは楽器として十分に成立すると思うよ。その点では、今の僕のスタジオセットアップはすごく気に入ってる。AbletonやReasonをメインに使い、Oxygen 8 USBキーボードやEvolution UC-33コントローラーでそれらを操作する。各チャンネルのアウトプットは最終的にAlesis MultiMix 6 USBミキサーに立ち上げられる。KorgのKaoss PadやKaossilatorはオモチャ的な要素も含めてずっと大好きな機材だし、ライブでも使うことがある。あと、Novation Bass Stationもずっとお気に入りのシンセだね。

あなたの音楽における「ジャム」という感覚なり要素はどのようにして培われてきたものなのでしょう？

自分でバンドをやってた頃、まずスタジオにみんなで集まってひたすら飲んだり吸ったりしてダラダラするわけ。で、誰かがフレーズを弾き始めてなんとなくセッションがはじまるんだけど、最初にジャムした曲はNeil Youngの"Like a Hurricane"だったな（笑）。ジャムしているうちにいろんなアイデアやメロディが入り込んできて、徐々に曲そのもののアウトラインが変化していくんだけど、そうして出来上がった曲もいくつかあったね。今では、まずスタジオに入ってトラックを作るときに、あらかじめ決められたようなフォーミュラ的な作り方はやらないようにしてる。Juno-106をいじるところから始まったり、録りためたサンプルをひとつづつチェックしているところから始まったり、はたまた他の人の音楽を聴いているところから始まったり。僕はとにかくランダムな要素をReasonのシークエンスにどんどん放り込んでいくんだ。そして何かと何かがかち合って融合するのを注意深く待つってわけ。

いちどループなりフレーズになりそうなものが浮かび上がってくると、まずそれを録音して寝かせておくんだ。なぜ一旦寝かせるかっていうと、一度に15～20トラックも扱って作業していると自分自身にとってもフラストレーションが溜まることがしばしばあるんだ。そこでこうして寝かせておいたフレーズなりループを引っ張り出してくることで、全体の作業の中に効果的な変化をもたらすことができるってわけさ。いま僕が制作に取りかかっているアルバムもまさにこうしたアプローチで作られていて、僕自身もその作業をすごく楽しんでる。僕にとっての8枚目のアルバムで、来年Speedy JのElectric Deluxeレーベルからリリースされるんだ。これは僕の本名であるBrendon Moeller名義でリリースされる予定。今年後半はライブセットの中にもこのアルバムに収録される予定のトラックをどんどん試していって、クラブの現場でどんなふうに鳴るかトライしていくつもり。Speedy J自身もDJでデモをかけていてくれて、そうしたお互いのフィードバックを取り入れて相乗させているのでかなり素晴らしいアルバムになると思うよ。クラブでも、ホームリスニングでも両方でしっかり機能するものにね。

僕自身は16歳のころからのシリアスな音楽収集家でもあるんだけど、音楽的な嗜好やヴィジョンといったものはやはり常に変化するものだと感じてる。なにかアイデアの刺激を受けるたびに僕はそれを新しいかたちで具現化しようとしてきたけど、僕がいまだに追い求めても掴みきれないものがある。それはつまり、自分自身の声そのもの。声っていうものは否応無くその人自身を表すものだけど、僕の創る音楽が僕の声と同等に僕自身をアイデンティファイ（同一化）しているとはまだ思えないんだ。だからこそ、僕は自分の創る音楽が自分自身の声と同等にまで表現力を持てるようになるまで努力を重ねるつもりなんだ。成し遂げることが困難なゴールだとは思うけど、だからこそチャレンジする価値があるし、チャレンジできること自体幸運なことだと感じてる。こうして今僕が音楽で生計を立てられていること自体、幸運以外の何者でもないよね。確かに、音楽を売って得られるお金はほんとうに僅かなものになってしまっていて、それをさらにデジタルワールドが搾取していくというタフな情況にはなってきてはいるけど、だからこそ多くのチャレンジがあると思うし、僕はそれに立ち向かうつもりだ。

ジャムの話に戻ると、普段のクラブでのライブやジャムでは毎回少しづつ違う事にトライできるようなシステムのセットアップを心がけている。いつも決まりきったサウンドを出すようなセットアップでは僕自身も飽きてしまうし、それは僕のやりたい事ではないからね。ライブを聴きにきてくれるお客さんをある一定のレールに載せつつ、それがどこへ向かおうとしているかは決して分からないように仕向けたいと考えているんだ。たとえば僕のあるトラックを気に入っているお客さんがいるとしても、僕はそれをそのままレコードと同じように演奏する事はない。レコードとは違う構成なりアレンジでプレイすることにより、新たな側面が生まれると思うし、それ自体がリスナーにとっても刺激的な経験になるはずだよね。

現在のライブでのセットアップはどのような感じなのですか？

まずMacbook Proをメインに、Abletonを走らせている。UC-33コンロトーラーやNovationのLaunch Pad、Kaoss Padも組み合わせてね。Abletonでは8つのトラックにすべてのエフェクトやループ、素材、ソロ、お気に入りのアカペラなどを立ち上げておいて、さながら完全武装ってところだね。それぞれのトラックは常にアップデートしてる。そう、常に新鮮でインスパイアにあふれたものにするためにね。自分自身が楽しめなきゃ、クラブに僕のセットを聴きにきてくれるお客さんも楽しめないでしょ？

あなたのプロダクションには初期のダブと共通する要素が数多く見受けられますよね。これについてはあなた自身も意識している部分ですか？

まったくその通りだね。たしかに僕自身ダブには大きく影響を受けている。だけど、ダブの手法というものは僕の音楽だけに限らず、世界中のいろんな音楽の中に見つけることができると思うよ。Pink FloydでもKing Tubbyでもその他のポップ・ミュージックでも何でもね。僕個人に関して言えばリヴァーブ、フェイジング、ディレイ、エコーといったエフェクトの虜になっているといってもいい。聴いたことのないエフェクトの使い方を耳にすると、僕はまずそのエフェクトがどうやって作られて作用しているのかを隈無く研究してみる。そうするうちに、やがてそれは僕自身のサウンドにおけるひとつの要素として昇華されるんだ。

最も使用頻度が高いエフェクターはやはりKaoss Padですか？

いや、実際のところKaoss Padを使う機会はそれほど多くはないんだ。僕がより多く使うのはほとんど壊れかけのようなエフェクターや位相系のエフェクター。そうしてダブエフェクトをかけられたトラックはすべてAbletonに戻して、すべてのレートやフィードバックをコントロールできるようにUC-33ですべてのパラメーターをアサインする。そこにNovationのLaunchpadを組み合わせておけば、実際にラップトップのキーボードを叩いて作業する煩雑さからは解放されるんだ。我ながら、なかなか自由度の高いセットアップだと思ってるよ。もともと僕はライブで音を鳴らしながらサウンドそのものを形作っていくというアプローチをとっていて、複雑なエフェクトを注意深く緻密に重ねていく作業は必要不可欠なんだ。ミックスの段階でジャム的な要素を盛り込む事もあるし、さらにギターやキーボードを重ねる事もあるよ。

そうした作業の過程で、どのようなプラグインを使うのですか？

普段使う機会が多いのはAbletonに内蔵されてるエフェクトで、とくにリヴァーブは良く使うんじゃないかな。ライブではシンプルディレイやフィルターディレイも使う。プラグインという事に関して言えば、Ableton内蔵エフェクト以外で唯一使うのはCamel Spaceというプラグイン。これはCamel Audioというメーカーが作っているエフェクトプラグインで、かなり以前に手に入れたもの。基本的に僕はスタジオをシンプルにしておきたいんだ。ほかにはZebra2を使うくらいかな。

これまで沢山のお金を機材に費やしてきたけど、結局のところはシンプルなスタジオセットアップに立ち戻ってしまうんだ。欲しい機材やソフトは求めればきりがないし、それを全て手に入れたところで結局完璧に使いこなすのは無理だからね。長く音楽をやればやるほど、結局機材は少ないほうがいいっていう結論に到ったのさ（笑）。正直に言うと、ひとつのシンセをしっかりと使いこなせればどんなサウンドでも出せるんだ。そこにディストーションや数個のエフェクトが加われば、可能性は無限に広がると言ってもいい。それは僕が今使っているAbletonやReason、Zebraにおいても同様の事が言えると思うよ。

シンセといえば、Juno-106もあなたの制作においていまだ現役で活躍してるんですか？

ダブテック的なサウンドを作ることに関して言えば、Juno-106は完璧なシンセだと思う。AbletonのRecordボタンをクリックして、あとはひたすらJunoでジャムを重ねるんだ。ひとしきりジャムを録り終えたらそれを聴き返しながら、ワンショットの音色でもリフでも何でも使えそうな部分があればそれを切り取ったりして、デスクトップにある "fodder" と名付けられたフォルダに放り込んでいく。その繰り返しさ。長年そうやって積み重ねてきた素材はいつでも取り出せてトラックの制作に活かせるようになっているし、ライブ用の素材としても活躍している。Junoっていうシンセはいわば付き合いやすい猛獣のようなもので、ひたすら没頭して楽しむ事ができるんだ。素晴らしいシンセだよ。

まさしくJunoはあなたにうってつけのシンセだというわけですね。

その通りだね。あと、ライブに持っていくにはKaoss PadやKaossilatorもこの上なく楽しいオモチャだと思う。こうしたエフェクターはライブ映えするというか、見ている人たちもどうやってそのエフェクトが鳴らされているかを直感的に理解できるしね。お金を払って僕のライブを聴きにきてくれるお客さんのために、僕は常に最善のものを提供したいし、そのための努力は惜しまないよ。

あなたは様々な名義を使い分けてリリースしていますが、それぞれの名義の間に明確な区別は設けているのですか？

まず、Beat Pharmacy名義に関して言えばこれはFrancoisのDeep Space Mediaからリリースするためだけの名義なんだ。FrancoisはBeat PharmacyをDeep Space Mediaの専属名義とすることで僕にその専属契約料を十分に支払ってくれる。当然僕はそれを恩義に感じているので、彼のために沢山のトラックを作るんだけど、必ずしもそれらが全てリリースされて日の目を見るわけではない。そこでFrancoisは「きみのやりたいようにやってくれ。Beat Pharmacy名義以外でもリリースしていいから」と言ってくれてね。そこから派生して生まれたのがEchologist名義なんだ。だから、この2つの名義に関しては特に明確なヴィジョンの違いがあるわけではないと言えるね。

過去にはそれぞれの名義によって明確なアイデンティティの違いを設けようと考えていた事もあったけど、結局それは僕の目的ではないと気付いたんだ。僕がこれまでリリースしてきた作品は僕のアーティストとしての進化の証明ではあるけど、これから僕がリリースするであろう作品の内容もそれと同等に重要なんだ。もっとこういう風に世に出せればよかったなとか、後になって思うような作品も過去にはあるけど、それらをリリースできた事自体についてはこれっぽちも後悔してないと断言できる。まあ、いったんリリースされてしまったものは作者の手から離れていくのは至極当然の事だからね。スピーディJと彼のレーベルとともに次のアルバムに取りかかろうと決心したのはつい先日のことだったんだけど、このアルバムはブレンドン・モイラー名義でリリースされることがすでに決まっている。この作品が僕のエコロジスト名義でのアルバム「Subterranean」とは明確に異なる内容の作品になるであろうという確信があるからね。もし、これから「Subterranean」をアップデートした続編的なものをリリースするとすれば、それはエコロジスト名義を使うと思うよ。

Getting Subterranean

あなたの現時点での最新作、Echologistとしてのアルバム「Subterranian」はほとんど一発録りで出来たとのことですが、実際にはどのような制作過程を経て作られたのですか？

制作の前段階として、1年もの間サウンドの素材を録りためていたんだ。その素材からいくつかがトラックのかたちになって僕自身のレーベルからEPとしてリリースされたんだけど、最終的な目的はそれらのサウンドをすべて同時にライブ・ミックスダウンしようというアイデアにあった。すべてのサウンド素材を同時に取り扱い、1時間のライブセットのようなかたちにしたかったんだ。アルバムという体裁をとりながらも、そこにライブ的な躍動感を加えたいと考えたのさ。アルバム全体として推進力のある、ドラマティックなものにしつつ良質なテクノのDJセットのような高揚感を含んだものにしたいと思っていたんだけど、その要素をキックやハイハット、クラップといったリズムにのみ負わせるのは避けたかった。サウンドそのもの、とくにベースサウンドの一体感が欲しかったんだ。

たしかに、サウンド全体が非常にリズム的な鋭さを持って鳴らされているように思います。

フィルターやディレイ、リヴァーブをリズム的な要素に反映させるため、様々な実験を試みたんだ。基本的にはAbletonの内蔵フィルターをフルに活用して、レベルも含めてUC-33でコントロールできるようにしておく。Abletonで8つのトラックすべてを走らせていると、そのうち1つのトラックのレベルが変化しただけでもトラック全体の表情はかなり大きく変化する。ちょっとした聴覚的な錯覚のようなものだけどね。

主に活躍したシンセをひとつ挙げるとすれば？

このアルバムではすべてのシンセサウンドがJuno-106から鳴らされている。このアルバムに使われたあらゆる素材はすべてジャムセッションの賜物で、そのままひとつのループトラックとして使われる事もあれば、カットアップされてリアレンジされる事もあったし、単純にSimplerのインストゥルメントのひとつとして組み込んだりもした。Reasonでも同じようなかたちで素材を調理したよ。Reasonはジャムセッション的なトラックメイクにはまさにうってつけのソフトウェアで、数個のサウンドとドラムキットでシークエンスを組めばそれだけで延々とセッションしながら遊べるんだ。間違いなく言えるのは、Juno-106が無ければこのアルバムは決して成立しなかっただろうって事だね。

あなたのスタジオを見ていると、まるでリビングルームの片隅にあるような雰囲気で、吸音材らしきものが見当たらないですよね。ミックスダウンなどの際に不便はありますか？それともミックスダウンは外部のスタジオで行うのでしょうか？
いや、僕がミックスダウンに至るまでのすべてをこのスタジオ内で手掛けているよ。これまで僕がリリースした作品のマスタリングもほとんど僕自身が手掛けているんだ。このスタジオにあるモニターの性質は知り尽くしているし、愛用しているヘッドフォンの鳴りも同様に熟知している。ミックスダウンの際はこのスタジオにある3つのヘッドフォンを使い分けながら入念にディテールをチェックしている。当然自分のスタジオ、自分のモニターについても熟知しているつもりだよ。今売れているような他の人たちのトラックの中にも、ヘッドフォンの中で最終的なミックスダウンを行ったであろうものがけっこうあると思うよ。そうやって他の人の作品を聴いて理解することで、自分の作品のミックスダウンに活かせることもある。自分のセットアップが最終的なミックスダウンの仕上がりにどのように反映されるかを知る事も大事だね。

最終的な製品としての作品の仕上がりを、グラフィックイコライザーなどを用いて調整したりすることはありますか？

いや、僕はグラフィックEQなどをかける以前の段階でコツコツと作業を積み重ねるのが好きなんだ。ミックスダウンの終わったトラックを複数の異なるシステムで鳴らしてみてチェックすることはあるけどね。信頼できる一握りのDJにデモを渡してみて、その内容やプロダクションに関してフィードバックを募ることもある。

さきほど「自分のスタジオにあるモニターの性質は熟知している」とおっしゃいましたが、それを具体的に説明していただけますか？

どちらかというと低域がたっぷりと再生される傾向があって、相対的にハイエンドの精密さが埋もれてしまうところがあるんだけど、却ってそのほうが僕の創るようなトラックの再生環境がシュミレートしやすい。僕が住んでいるのはニューヨーク州の北部なんだけど、いちばん近い近所の家まで40～50メートルくらい離れているんだ。だから音量もめいっぱい上げることができる。モニターのアップグレードも考えてはいるけど、現時点では必ずしも必要ではないかなと考えてるよ。

「相対的にハイエンドの精密さが埋もれてしまう」とのことですが、それについてはどう対処しているのですか？

ハイエンドのチェックについてはヘッドフォンを使う。SonyのMDR-7509HDだ。これは非常にクリアで余計な色づけがないから、素材そのものの鳴りを確認できる。以前はよくクラブのサウンドシステムで自分のデモを鳴らしてチェックしていたんだけど、結局そこのシステムが悪ければ何をかけてもチェックする意味がないわけでさ（笑）。ベルリンのBerghainで数度プレイしたけど、そこでの鳴り方は強烈で、音そのものに対する認識さえ変えてしまう力があったよね。僕もすっかり目が覚めたって感じだったよ。今では、ヘッドフォンでもモニターでも自分の求めるサウンドの輪郭を的確にシュミレートできる。さっき言ったニューアルバムは、これまで以上にベストのサウンドクオリティを聴かせられると思うよ。

クラブにおけるサウンドシステムのダイナミクスからあなたが学んだものとは？

まあ、単純明快な事実だと思うよ。たったひとつのサウンドでも、それ自体は恐るべきパワーを秘めているんだ。でも、そこにちょっとした雑音や余計なものがくっついてしまうと、途端にそのトラック自体の強度は失われてしまうってこと。僕は自分のトラックでは必要最小限のものだけに留めるべきだという事を学んだ。クリスピーでクリアで、かつ入念に考え抜かれたサウンドはそれ自体が音楽として成立する。それが僕がサウンドシステムから学んだ至極シンプルな理論だ。そうして作り込まれたサウンドはちょっとしたエフェクトや空間を与えてやる事で、さらに劇的な変化を生じさせることができる。本質的なメッセージを伝えるための手段として、大げさなギミックは決して必要じゃないんだ。ベースラインでも、フックでも、ドラムでも何でもね。