9歳の頃、母の勧めもあってわたしは当時住んでいたドイツ・デュッセルドルフ近郊の小さな町のピアノ教室に通っていた。わたしの担当についた先生は若く親切で、しかも辛抱強くピアノ初心者であった私を指導してくれたのだけれど、その後しばらくしてわたしたち家族は父の仕事の都合でイギリスへ引っ越すことになった。イギリスに引っ越してからも、母は私にピアノを続けさせようと新しい先生を見つけてきた。でも、わたしは一度レッスンに通っただけで根をあげてしまった。というのも、新しい先生は年寄りで、すごく厳しかったから。両親はピアノ教室をやめることに最初は反対したけれど、結局はわたしの好きなバレエのレッスンだけに集中することを許してくれた。それ以来、現在に至るまでわたしは専門的な音楽教育を受けることは無かった。

やがて5年も経つ頃にはわたしはあれだけ好きだったバレエもやめて、ダンスミュージックとそれを取り巻くあらゆるものに夢中になった。2002年の頃はロンドンに住み、The EndやThe Ghettoといったクラブでエレクトロクラッシュにのめりこんだ。その後20代前半にはミニマルテクノへ興味の対象が移り、DJやトラックメイカーの友達も増えていった。そこではいままで感じたことがなかったほどの深く素晴らしい人と人の連帯があった。音楽業界における知識などその時のわたしには何もなかったけれど、それでもこの場所こそわたしが生きる場所なのだと心に決めていた。

はたしてその翌年にはわたしはブッキングエージェントでアルバイトをするようになり、それからレーベルアシスタント、プロモーターを経て、現在はアーティストやレーベルのライターや雑誌に記事を寄稿するジャーナリストとして働いている。もちろんいまわたし自身がやっている仕事に対しては誇りを持っているけれど、ひとつだけまだ自信が持てないことがある。それは「エレクトロニック・ミュージックやそのソフトウェアに対する専門的な知識のないわたしが、どうやってその音楽に対して文章を書いたり、あるいは批評できるというのだろう？」という根本的な疑問だ。今日のソフトウェアの進歩に加え、それらの使い方を学ぶ機会は自分さえその気になればいくらでもあるというのに、わたしはそれを怠ってアーティストたちの作品を正当に評価していないのではないかとも思っていた。それに、「いまや音楽は誰にでも作ることができる」と言われるようになって久しいが、それが本当なのか確かめたいという思いもあり、今回わたしはPoint Blankのオンライン講座の受講を決意した。そこでわたしが体験した内容を以下に記したいと思う。

第1週

6月6日月曜日

コンピューターに関して、わたしはeメールをするくらいで、ほかにはWordやExcelを少し触れる程度だった。音楽的なことはさておき、まずはソフトウェアの操作を学ぶことがわたしにとって最初の課題となった。第1週目の受講内容を始める前に、まずLogicをインストールしユーザー登録を行った後、わたしはLogicの画面レイアウトに慣れることからはじめた。わたしを指導してくれる講師はAlex Phountziという男性で、彼はPoint Blankでの講師としての仕事の他にGreenmoneyという名義でプロデュースも行っており、Bugz In The Atticのメンバーとしても活動しているそうだ。受講者のなかで女性はわたしがただひとりで、しかも音楽教育の経験がないという受講者もわたしがただひとりだということはあらかじめ予想はできていたことで、特に驚きではなかった。他の5人の受講者はすでにプロダクションの経験があったり、DJとして活動している人たちばかりだった。

講座をはじめるにあたり、まずはアナログ時代からMIDI、DAWに至るまでのシーケンサーの進化における歴史を学び、それからMIDIメッセージやノート、ファイルがどのような相関関係で働くのかということについて説明を受けた。シーケンサーの詳細な機械的仕組みについてはちんぷんかんぷんだったけれど、なんとかその役割や基本的な部分は理解できたつもりだ。また、ヴィデオ・デモを通してインターフェースについても説明を受けた。それから小節、ビート、メジャー、テンポ、拍子記号といった音楽理論に関した説明に移り、それらがLogicのモニター上でどのように表示されるかを学んだ。わかりやすい曲を例にとって、オーディオプレイヤー上で拍子記号の説明も受けた。学校での音楽の授業で習ったような事柄はすっかり忘却の彼方へと去ってしまっていたので、こうして基本的な部分を改めて学びながら講座がスタートするのはありがたい。Logicのインターフェースはやはり難しそうだ。Logicはこれまでにも何度もいろんなスタジオで目にはしてきたけれど、いざ自分がユーザーとしてモニターの前に座ってみると、まるでボーイング747のコックピット・コントロールパネルを眺めているような気分になってくる。

6月11日土曜日

第1週に私たちへ与えられた課題は「どんなものでも、どんなスタイルでも良いからまずは好きなようにLogicでひとつのトラックを作ってみよう」というものだった。3年前にわたしの家の物置に友達が置き忘れていったM-Audio Radium 49鍵キーボードを引っ張り出して埃を払い、Logitechのデスクトップ・スピーカーの電源を入れてみた。いざキーボードにアサインをはじめてみようと思ったものの、月曜に習ったはずのそのやり方をすっかり忘れてしまっていた。「なんで月曜に習ってすぐに取りかからなかったんだろう」とさっそく後悔するはめになってしまった。気を取り直して、もう一度ヴィデオ・デモを確認してからファイルの新規作成に取りかかった。テンポを設定し、メトロノームをオンにする。MIDIチャンネルを作成し、そのインストゥルメントを選択する。まずはキックドラムから始めたが、鳴り方はひどいものだった。空虚に響くキックと1時間ほど悪戦苦闘したのち、わたしはあっさりと路線変更を決め込んだ。ハープとストリングスの入ったダウンテンポのサンプルをループし、そこにハイハットを加えようというものだ。永遠に続くかと思われたインターフェイスとの格闘を経て、ようやく出来上がったループはまるでわたしが6歳のころに持っていた安っぽいオモチャのジュエリーボックスのようだった。ガッカリ。

第2週

6月13日月曜日

第2週に与えられた課題は、一からドラムパターンを作ってみようというもの。Ultrabeatを使ったヴィデオ・デモではいかにも簡単そうに見えたのだけれど、いざ実際に自分でやってみると出てくるサウンドは聴くに堪えないものばかり・・・。様々なキックドラムの中から、ハウスやテクノで聴き覚えのあるキックのサウンドに近いものを見つけるまでかかった時間は約3時間。どんなパターンを打ち込んでみても、そのサウンドは冷たく硬直し、グルーヴや動きなんてものはまったく生まれてこない。ベースラインを足してみたらしっくりくるんじゃないかと思って付け焼き刃でやってみたものの所詮焼け石に水、サウンドはひどさを増すばかり。リズムプログラミングは音楽制作の初歩中の初歩であるはずなのに、これほどまでに難しいとは！フラストレーションばかりが増し、基本的なコマンドも忘れてしまい結局は課題を完成させることはできなかった。この日のハイライト？apple+z（「取り消し」のショートカットコマンド）を覚えたこと！

6月14日火曜日

この講座はオンラインで行われるので、毎週の課題に対するフィードバックはDVRヴィデオで送られてくることになっている。わたしが送ったLogicの課題に、Alexはわたしのやり方でおかしかったところやミスのあったところを直接訂正しながら懇切丁寧に説明してくれる。先週わたしが提出した課題に対するAlexからのフィードバックは非常にポジティヴなもので、前夜ドラムプログラミングがうまくいかなかったことも忘れてわたしはすっかり有頂天になっていた。しかし、Alexから「クォンタイズ」のおさらいやMIDIノートの「クォンタイズ設定」について訊かれるとたちまち頭は真っ白に。え？クォンタイズって何のことだっけ？そんなこと、わたしはすっかり忘れていた。わたしはただ、とりあえず音を置いて録音しさえすれば課題はクリアだとばかり思い込んでいたのだ。Alexはわたしの課題にある問題点を瞬く間に洗い出し、わたしにはまだ到底わからないコマンドを駆使してあっという間に修正してしまった。わたしは感心するどころか自分の未熟さを恥じるばかり。これからSonar取材のためのフライトに乗らなければいけないので、結局ドラムプログラミングの課題をこなすのはおあずけ。

6月26日日曜日

ようやくドラムプログラミングの要領をつかんできた。忍耐強くじっくり取り組めばうまくいくことがわかったのだ。もともとわたしはせっかちな性質で、正解もわからないうちに自分なりのやり方で物事を勝手にすすめてしまったり、それに失敗すればさっさとあきらめてしまうかのどちらかだった。リズムプログラミングの基礎においては、残念ながらそういう行き当たりばったりのアプローチでは通用しないようだ。ゆっくりと、基本に従いながらドラムのパーツをそれぞれソロにしたりミュートしたりしながらそれぞれが調和するように試していくほかないのだ。最終的には、わたしは2つのドラムビーツを完成させることができた。最初に作ったビーツはやや手数が多すぎたので、もうひとつはもっとシンプルな別のスタイルに仕上げて、両方をAlexに送った。ここにきて、これまでのわたしの場当たり的なアプローチや、物事がうまくいかないときに辛抱強く保てない性格をどうやら見直さなければならないことがわかってきた。

第3週／第4週

7月2日土曜日

先週はLogicを2回立ち上げただけで、しかもそのたびに胃が締め付けられるような気がして数時間もしないうちに閉じてしまっていた。第1週と第2週に習ったことはすっかり忘れてしまい、何かをクリックしてもそれがどんな内容の作業だったか思い出すのもおぼつかないという体たらくだ。欲しいサウンドは頭の中にあるのに、いざそれをレコーディングしようとするとイメージとは似ても似つかないものになってしまう。ドラムをしっかりと並べるところまではできるのだが、そこからさらにパーカッシブなフロウを足していくという段階までなかなか進めないままでいた。

なんだか自分が馬鹿みたいに思えてきた。どうしてわたしにはこんなこともできないんだろう？音楽を創っている友達はたくさんいるけど、そうした友人たちに助けを請うことすら億劫だとさえ感じるようになっていた。長いこと音楽を創っている彼らからしたら、わたしが四苦八苦している初歩的な段階なんて朝飯前のはずだ。結局、DJもやっていてトラックメイクもやっている彼氏に助けを請うことにした。わたしが作ったキックドラムをまず彼に聴かせ、わたしがそこから先のステップに進めないことを打ち明けた。5秒もしないうちに、彼は「ブーム」「カチッ」「チッ」と声に出し始めた。ごく自然に全体のドラムキットをシュミレートしてビートボクシングしているのだ。「わかる？簡単でしょ。まあ、聴いててよ—ブーン、カッ、ツチッ、チッ、ブーン、カッ—いい？スクリーンだけを眺めてるんじゃなく、まずは感じるままにやってみなよ」

そう言って彼が部屋から出て行くと、わたしは必死になってビートボクシングしてみた。しばらくそれを続けたあと、おもむろにインターフェイスに向かい、イメージに近いドラムサウンドを探し始めた。最初に使っていたスネアはイメージと違う音だったので、まずはこれを別のものに変えてみようと試みたのだけれど、どういうわけかすべてのチャンネルが消えてしまっている。再設定したはいいものの、今度はキックがやたらアップビートで鳴るようになってしまった。どのボタンをクリックしてしまったのかわからないけれど、アレンジページも見たことの無いものに変わってしまっている。メディアページも見つからなくなっているし、キックの音量レベルもほとんどMAXまで達して割れている。ポインター・ツールはハサミ型のものに変わっていて、それがキックドラムを切り刻んで結果的にテンポは倍になってしまい、ビートはまさにぐちゃぐちゃになってしまった。

2時間ほど悪戦苦闘しても一向に解決しないので、結局わたしは彼氏に助けを求めた。でも彼の返事は「僕が手助けしてしまったら君にとっては何の得にもならないよ」という素っ気ないものだった。思わず涙があふれてかんしゃくを起こしそうになったが、苛立ちにまかせてラップトップを窓から放り投げてしまう前に思いとどまった。彼は穏やかにわたしに話しかけ、どこをどう間違えたからこうなっている、じゃあこれを直すにはどうすればいいのかということを手取り足取り説明してくれた。こうした懇切丁寧なアドバイスはなによりも有益で、彼が言うところによると、コンピューターでのトラックメイクを初めて4週目くらいでこうした壁にぶつかるのはよくあることらしい。わたしは2つの課題をようやく完成させ、第1週目のスタートのときに感じていたやる気が戻ってきたような気がした。感情的にも非常に疲れていたし、同時にフラストレーションも溜まっていた。たかがコンピューターソフトにこれほど振り回されるなどとは予想もしていなかった。

第5週

7月10日日曜日

この週の課題は前の週に習った「最低でも3つのコードを使って構成されたシークエンスを作り、ドラムトラックと組み合わせる」という内容から発展させ、「さらにベースラインを加えたトラックを創ってみよう」というものだった。リズムトラックは以前の課題提出のときに作成したものをそのまま流用したほうがいい、という勧めもあったので、まずわたしはそこへコードを組み合わせて並べていく作業から始めた。これはわりと自然にできたんじゃないかなと思う。こういったシンプルなピアノのコードはどこか壮大で暖かく、エレガントなイメージを膨らませ、正しいシークエンスで演奏しさえすればドラムビート無しでも十分成立するだろう。わたしはEnyaやSade、クラシックのコンピレーションなどを家庭で聴いて育った。Phil Collinsの"In the Air Tonight"でのドラムフィルなどを別にすれば、重いドラムを持った音楽はわたしの家庭では無縁だった。わたしはコードの音色をピアノやストリングスをはじめ、さまざまなシンセに切り替えながらしばらく作業に没頭した。自分の頭の中にあるイメージをそのままアレンジメントページに反映させることができた時の満足感にはなんともいえない嬉しさをおぼえた。

夕方になると、わたしたちはパーティに出かけた。踊っていると、自分自身がサウンドの中に呑み込まれ、リズムが身体をがっちりと掴み、まさしく音楽の中に自分自身が埋没しているということが実感できるものだ。しかし、この日に限ってはいままでと少し違っていた。この日、わたしはハイハットだけを集中して聴いていた。そうすると、たったひとつのハイハットがオフビートでずれ気味に鳴らされるだけで、全体のリズムの活性をぐっと押し上げることがわかった。次にスネアドラムに注意を移してみると、スネアの位置がハイハットとの相互関係で厳格に定められることで効果的にグルーヴを生み出していることがわかった。小節全体に視野を拡げてみると、ベースとキックはお互い話したり踊っているかのように相互作用しながら、シンバルクラッシュで一旦停止してみたり、お互い寄り添ってドラムフィルへとなだれ込んだりしている。ドラムキット全体を注意深く聴いてみると、それぞれの音色はバラバラのようでいてその実は強固なひとかたまりのグループとして働いていることがわかってきた。わたしは知らないうちにドラムの構造における真髄というべきものに触れていたのだ。そんなことを考えながら踊っていると、友人に「Logicのコース、楽しんでる？」と訊かれた。わたしは「うん」と答えた。講座を受け始めて5週間、わたしは素直にそう言えるようになっていた。

第6週

7月18日月曜日

この日は1日だけ仕事を放り出し、朝起きるとすぐにLogicを立ち上げた。Point Blankにログインし、ヴィデオ・デモンストレーションを熱心に目で追いながら、その一方でこの週の講座内容の予定をざっとチェックする。Apple Garagebandに入っているループは即座にインスピレーションが欲しいときには有用だということもわかった。もちろん、プロのトラックメイカーがこういった既成のループを使って作品を創ることはあまり褒められたことではないと思うけれど、たしかにインスピレーションを得るためのヒントとしては悪くないと思う。MIDIのドラムループをひとつ、MIDIのハープ音色のループをひとつ使い、わたしはほかの8つのチャンネルと組み合わせてレコーディングしてみた。もともとクラシック／オーケストラの音楽が好きなわたしにとってはドラムプログラミングは鬼門だ。今週提出する課題はダウンテンポ／アンビエント的なものに落ち着きそう。

課題を送信して、Logicを閉じるかと思いきや、さらにわたしは新しいファイルを開いて午後の間じゅうこれまでにコースで習った内容をおさらいしてみた。物事に対して「やりたい」と思ってやるのではなくて、「やらなければならない」と感じて自発的に取り組むのはこれが初めてだったかも知れない。ドラムとベースラインに対する苦手意識を克服するため、わたしはダンストラックをひとつ創ってみようと決意した。ゆっくりとした進み方で、いくつも数えきれないミスをするかもしれないけれど、いまやわたしはそのミスを修正する対処法を身につけている。とにかく、やってみよう。

『次の日の朝、目が覚めて最初に彼に言った言葉は「あのベースラインの最後のところ、もうちょっと工夫する必要があるわね」
というものだった。
わたしは完全にハマってしまっていたのだ。』

週末の間じゅう仕事で家を空けていた彼氏が戻ってくる頃にはすっかりわたしは興奮していて、彼にもトラック制作に加わるよう誘った。やがてわたしたちは共同でトラックを創りはじめ、どちらかがメロディを口ずさむともう片方がそれに合う音色を探し出し、それを弾いてレコーディングしたりした。パーツを加えたり、ハイハットやベースラインを足していったりしてトラックはどんどん形になっていった。わたしたちは2人とも普段同じような音楽を共有して聴いているし、同じようなヴァイブを感じているから、これまで彼が音楽を創るときに感じていたであろう喜びに対し羨望のまなざしを向けるばかりだったわたしも、いまやそれを理解し共有できるようになった。彼の存在を差し引いても、これはマジカルな体験だ。わたしはソフトウェアに対する理解を深めるさらなる段階へ進んでいることを実感していたし、エレクトロニック・ミュージックにおける核の部分に迫ることができたことでそれを創る人々の立場に対しこれまで以上に共感できるようになった。その日、最後にコンピューターの電源を落としたのは何時だったか思い出せない。次の日の朝、目が覚めて最初に彼に言った言葉は「あのベースラインの最後のところ、もうちょっと工夫する必要があるわね」というものだった。わたしは完全にハマってしまっていたのだ。

7月21日木曜日

毎週木曜日の夜になるとオンライン・チャットが1時間行われ、Alexとすべての受講生が参加できるようになっている。数多くいるPoint Blankのオンライン受講生にとって、日頃の疑問をぶつけたり、コース内のプログラムではカバーされていないことについても質問できる絶好の機会。時差の関係で、住んでいる国や場所によってはなかなか参加が難しい場合もある。イングランド居住の受講生はTimとわたしの2人だけだから、ほかの2人がほとんどの場合このチャットに出席できないのも致し方ないところ。

それぞれの受講生によって直面する問題が異なるのは当たり前で、それゆえそれぞれの質問の種類も様々だ。だから、TimとAlexが別の件で会話している間は、わたしはその会話の腰を折らぬよう静かに待つ。そうすることで、AlexもTimが訊きたいことに対して集中して答えることができる。こうしていると、週に一度のチャット・セッションのために設けられた1時間という時間枠はあっという間に過ぎていく。わたしが質問する順番になると、Timは下がって待っている。YouTubeにアップされているチュートリアルやオンラインのフォーラムなども便利だけれど、同じようなステップで進んでいる友達の存在もテクニカルな問題をクリアしていくのに不可欠な存在なのだなと思えるようになってきた。

こうしたオンラインでの受講形式では、1週間に1時間でも講師と直接会話できる機会は非常に有益だ。プライバシーも守られるし、煩雑さも無い。それぞれレベルの異なる受講生であっても公平に時間が設けられ、思う存分疑問をぶつけることもできる。他の2人の生徒はだんだん課題提出の頻度も落ちてきているようだ。最終的に受講を最後まで続けたのはTimとわたしの2人だけだった。わたしにとってはチャットルームの存在は有益なものだったので、そのシステムをこれ以上どうこう言うつもりは無い。ただ、こうしたオンラインでの受講形式では受講生個人の積極性も重要な要素のひとつであることは明らかだろう。同様に、音楽を創っている友達と過ごす時間も非常に有益だ。彼らがスタジオ内でどんな作業をしているかを眺めているでも、ただ彼らと座って話をするだけでも確実に自分自身にもフィードバックがあるものだ。

第7週

7月24日日曜日

わたしの頭のなかはすでに音楽とその制作で占領されつつあった。休み無く働いた後、家に戻りLogicを立ち上げる毎日。わたし自身の音楽に対する考え方が、その聴き方も含めて予想を大きく上回る変化を見せはじめたのもこの時期だ。音楽を聴いているとき、これまでのわたしには無かったやり方で音楽を読み解き分析している自分に気付く。もちろんそれ自体は歓迎すべき変化ではあるのだが、その一方である種の奇妙さも感じていた。というのも、音楽を聴くという行為において、それまでのナイーブさや単純に音楽そのものを楽しむという感覚がすっぽりと抜け落ちてきているような気もするのだ。最初にわたしがダンスミュージックに出会った頃は、音楽をその総体のパワーとして捉えていたし、そのパワーはわたしの内的な心理状態を瞬時にして変化させてしまう威力をたしかに持っていた。それはまさにわたしの想像をはるかに越えた手品のようなアートフォームと言うべきで、ただわたしは虜仕掛けのように心を奪われていた。いざ音楽そのものをその細かな構成要素まで分析して、技術的な効果やアレンジメントの中に潜むフロウなども読み取れるようにまでなってしまうと、それまでの純粋な感受性が失われてしまったような気がするのだ。わたしはテクニカルな部分に対して少し踏み込みすぎてしまっていたのかもしれない。

音楽の構造への理解が深まっていくと、ブリープ音がまっさらな状態から全開に至るまでの経過や、ベースラインがなにもないところからやってきて不意に肋骨全体を揺さぶる仕組みもわかるようになる。わたしの理解の範疇を越える驚くべき音楽はまだまだたくさんあるし、わたし自身もそうであってほしいと願っているけれど、わたしの中の無垢さはやはりどこかに置き忘れてきてしまったような感覚がある。

この週はある1曲のビーツやサウンドのパーツを与えられ、それをセグメントごとに分解してアレンジし直すという課題が与えられた。パーツをシザーツールで切り刻んで分割するまでは簡単にできたものの、いざそれらをアレンジする段階ではすごく苦労した。渡されたサウンドはわたしの好みとはまったく違うものであったため、これを自分でOKだと思える最低限のものまでアレンジし直すという作業についてなかなかモチベーションの落としどころを見つけられずにいた。こうしたお仕着せの音楽へのわたし自身の興味の欠落は、トラックメイカーがとくに好きでもない曲をリミックスするときの苦労を連想させる。「好きじゃないなら、やらなければいい」と言うのは簡単だが、それはすでに名前の売れた一握りのアーティストたちだけに許される物言いだ。実際には、これから名を売っていこうとするトラックメイカーにとってせっかく依頼のあった仕事をそんな理由で断ったりしたらそれは長い目で見て賢い判断だとは言えないだろう。

第8週

7月29日金曜日

わたしの使っているラップトップが1週間修理に出さなければならなくなったので、Point Blankにeメールを送り、そこのスタジオにあるコンピューターを1台使わせてもらえないか尋ねてみた。実際に教室へ通って直接講師から指導を受けた場合、わたしの進歩の度合いはどれほど違ったものになっただろうということについての興味もあった。たしかに、オンラインでの受講システムは計り知れない有益さがある。普段の仕事を続けながら受講できる点もありがたい。日曜日の午前3時に課題に取り組み、必要とあれば途中で講義を巻き戻して何度も再生できる。でも、こうした受講形式では、疑問に思ったりつまづいたりした時にその場ですぐに相談できるようなパーソナルな対応力に欠けているんじゃないだろうか？

Point Blankのスタジオ内にあるコンピューターを使って作業させてもらいながらこの週の課題に取り組んでいる間、講師にその作業を見てもらえないかと頼んでみた。実際の授業と講師がオンラインでのそれとどう違うかその過程を比較したかったのだ。Point Blankは木曜の午後ならそのスタジオ内のコンピューターを使っても良いし、Paul Crossman（General Midiとしてもアーティスト活動を行っている）がわたしについてくれて3時間のあいだ作業を見ていてくれるとのことだ。これは通常の受講内容にはもともとないことだし、すべての受講生がこういった個々の要望に応えた待遇をしてもらえるかどうかはわからない。この受講日記をRAの記事として書くことはすでに伝えてあったので、そういう目的が無ければ断られていたかもしれない。ともあれ、実際にスタジオに行けることになったので、せっかくだし行ってみようと考えた。

8月4日木曜日

近しい友人たちを除けば、他人の前でLogicを使うのはこれが初めてだ。だから最初はわたしも自分の未熟な部分をなるべく見せまいとしていた。しかも見てくれている相手は90年代後半からレコードをプロデュースしているヴェテランだ。でも結局は未熟な部分もすべてさらけ出してみて、マンツーマンでのスタジオレッスンの利点を生かすことが最善のやり方だった。Paulとわたしは課題として与えられていたオーディオファイルを一緒に精査し、分析したりテンポを変えてみたりした。Paulはしっかりとわたしについていてくれたし、じっくり指導してくれた。

フレキシングおよびスライシング・ツールの使い方を学んだので、全てのチャンネルに立ち上がっているサウンドを同一のテンポで鳴らせるようになった。わたしがちょっとした疑問をぶつけてみると、Paulはすぐに身振り手振りも交えながらいたって簡潔に説明してくれるので、わたしのLogicに対する理解も瞬く間に深まっていくようだった。取り組んでいた課題のリズムも全体像が見え始め、Paulもわたしも一緒に集中して取り組んだ。そうして出来上がったトラックには、その作業に息づいていた相互レスポンスというべきヴァイブが確かに息づいている。このアレンジメントに取りかかった当初からわたしの頭の中にあったベースラインのイメージをPaulにハミングで伝えてみると、彼はすぐにそれを弾いてLogicのアレンジページに録音してみせた。それからそのベースラインに肉付けしたり、音色を変えたりしながらさまざまなサウンドの実験を行った。EQやオートメーションについても少し教えてもらった。これらが音楽にどう作用するのかという説明を受けていると、わたしの作るサウンドがいまひとつ平板でドライな感触にしか仕上がらない理由がわかった。こうやって特定の部分に集中した説明を受けることで、こうした特別レッスンのありがたさが尚更増すような気がする。次にオートメーションに移ろうとしたところで、3時間のリミットがやってきてしまい、わたしはPaulとともに後ろ髪をひかれる思いでスタジオを出た。しかし、音楽を創るという作業におけるアドレナリンはなんとも忘れ難い感触として確かにわたしのなかに残っていた。

第9週

8月10日水曜日

スタジオで他の人と共同作業する楽しみにすっかり味をしめてしまったわたしは、この週の課題を制作するにあたり女の子の友達を誘ってみることにした。Abletonユーザーでもある彼女がLogicをどう思っているのかにも興味があった。最初はLogicの複雑なインターフェイスに対して彼女も戸惑っていたようだが、一緒に作業を進めていくうちに彼女は直感的にこの2つのプログラムの相違性について慣れてきたようだ。AbletonにはないLogicの機能を目にして、彼女は「信じられない」といった面持ちだった。とりわけLogicのオーディオ・スコアリング機能は衝撃的だったようだ。

リリックやヴォイス、サウンドをオーディオトラックに録音する方法がわかったので、その次はヴォーカルのピッチを変化させたり、ハーモニック調整やタイムストレッチなどをかけてみたりした。わたしたちは決して歌が上手いほうではないと思うけれど、お互い心からセッションを楽しんだ。やっぱり、共同作業で音楽を創るのは楽しい。

第10週〜第12週

8月15日月曜日

サマーバケーションの時期ということで、第9週と第10週は課題を提出する必要が無い。そこで、わたしは「構造とアレンジおよびミックスの基本」のヴィデオ・デモンストレーションを見ながら勉強した。基本的なEQの働きやリヴァーブ、バスの役割やエフェクトなどが包括的に説明されていてとても有益だったが、こないだ提出した課題についてのフィードバックは添付されていなかった。うまくいっているのか少し心配。

8月26日金曜日

最後の週に与えられた課題は、過去11週に学んだことをすべて活かしながらひとつのオリジナル・トラックをアレンジやミックスダウンも含めて完成させるというものだ。わたしはまずハウス・ミュージックにおいて個人的に好きだったり重要だと思う要素をリストに書き出してみて、自分がどんなトラックを作りたいのかということに対して真剣に向き合ってみた。自分でも満足できるような最終課題を仕上げたいと心に決めていたし、わたしがこれまで学んだことをはっきりと認識できるように今回は誰の手も借りずわたしひとりだけで最後まで仕上げてみることにした。わたしはまず、わたしにしてはちょっと多すぎるくらいのお酒を買いに出かけて、部屋に帰ってくると集中するためにカーテンを閉め切った。それから3日間かけて得られたものは2つ。ひとつは1曲の完成されたトラック。もうひとつは、音楽制作においてわたし自身の中にあるイメージは、今日のマーケットに点在しているあらゆるハウス・ミュージックの水準から影響されているものに他ならないという確信だ。

最初に、わたしは自分自身でほんとうに心地よいと思える4つのシンセ・コードを組み合わせることから始めた。そのコード進行はスローで暖かくエモーショナルであると同時に、メロウな感覚に引きずり込む仕掛けもあってわたしはすっかりハマってしまった。アンビエント的なタッチはそのまま残しておきたかったので、慎重にシンセやストリングスを重ねてそのセクションを膨らませていった。ただ、そのままだとダンストラックとしてはやや冗長すぎると思ったので、そこへざっくりとした感じのドラムを加えることにした。ベースをひとつ、キックをひとつ、スネアをふたつ、クラップをふたつ、シェイカー、ボンゴ、リムショット、ハイハットのレイヤーを7つ重ねたりしてみたものの、満足できるものはなかなかすぐにはできない。ベースは深さが足りなくてパワー不足で、リズムを底からしっかりと持ち上げる感じが足りない。キックドラムはドライすぎるしクラップもありきたりな感じに聴こえる。個々のサウンドをいじることだけに囚われてはいけないので、他の作業を進めることにする。インストゥルメントを足して、トラック全体に動きとグルーヴを出そうとしてみた。しかし依然としてサウンドはのっぺりとしていて、いかにもアマチュアっぽいものに聴こえる。

わたしの場合、満足できていない時はえてしてどこへ向かうべきかという方向性を見失っている状態だ。わたしは文字通りトラックをどんな細部も聴き逃さなくなるまで何百回も繰り返しリピートした。ストリングス、シンセ、パッドのオートメーション設定やエフェクトを見直し、ピアノのコードにリヴァーブをかけて2バスに送り、パーカッションにEQ調整を施した。バウンスする前にスピーカーとヘッドフォン両方を使って最終的なバランスの確認を行い、少しのためらいを感じつつもAlexに完成したトラックを提出した。この時点でようやくこの曲がRAの記事の一部として公開されることになっていることに気付き、新たな別の感情がわき上がってきた。なんだか自分がさらけ出されてしまっているような気分だし、12週間学んだことの成果としてある程度の自信はあるものの、その一方で「12週間も学んでてこの程度かよ」と批判されたくないというエゴもないまぜになって凄く複雑な気分だ。

こうして受講を修了してみて、その過程をありのままに記してみてわかったのは、このプロジェクトはまだ序章にすぎないということだ。自分自身の中に潜むクリエイティブなポテンシャルを磨き上げるためには、そのプロセスを楽しむことがまず大事だし、さらにわたしの場合はエレクトロニック・ミュージックを作ることについて考える前に音楽そのものの構造を学ばなければならなかった。わたしはまだ、自分でほんとうに作りたいサウンドに辿り着くための道筋の入り口に立ったにすぎないのだ。いまや音楽は誰にでも作ることができるのか？そう、答えはイエスだ。でも、ほんとうに良いエレクトロニック・ミュージックを誰でも作れるかというと話は別かもしれない。わたしがそこに辿り着くためには12週どころか12ヶ月、12年以上の長い年月の積み重ねが必要だろう。