このシリーズでは耐久性、信頼性、そして機能性の面からDJブースにおけるスタンダードな機材をピックアップして紹介しており、これまでTechnics 1200シリーズ、Pioneer CDJ、そしてAllen & Heath Xone:92を取り上げてきたが、ターンテーブル、CDプレイヤー、ミキサーはサイズが大きくて重く、また高価なため、ブースに恒久的に設置されるという点において全員を納得させられる製品が有利だ。つまりスタンダードになるには前提が求められていた。

しかし、ヘッドフォンのスタンダードについてはそのような前提はない。ヘッドフォンはDJが使用する機材の中で最も携行性に優れ、低価格だ。また時として共有する場合があるにせよ、基本的にDJは自分専用のヘッドフォンを持ち歩き、自分のニーズを満たす特定のモデルを好んで使用している。例えばLarry Levanのようなディスコ黎明期のパイオニアたちはハンドルが付いた片耳式のヘッドフォンを好み、Donato DozzyのようなテクノDJはハウジング部が大きく、再生能力に優れたAllen & HeathのXone:XD-53などを好む。またDixonはPhononのヘッドフォンを愛用しており、デトロイトハウスのベテランTerrence Parkerは受話器型のヘッドフォンを長年使用している。

DJは大きさや感触、そしてサウンドの特性によってヘッドフォンを選ぶが、どのヘッドフォンも「トラックをスピーカーで鳴らす前に聴く」という使用方法は一緒だ。そのためだけに使われているのかと思う人もいるかも知れないが、実際は数多くのDJは現在プレイされているトラックと次のトラックのテンポを合わせるという、所謂「ビートマッチ」にも使用している。ビートマッチは基本的にフィジカルな作業で、トラックのピッチを上下させたり、スクラッチをしたりしながらビートのタイミングを合わせていく（CDJのビートシンクを使用しない場合）が、この作業は同時にDJにリスニング能力も要求する。DJはヘッドフォン上でトラックのテンポやテクスチャ、メロディの展開を把握しつつ、サウンドシステムでプレイされているトラックと比較しなければならない。

ビートマッチに慣れていない人にとっては、左右の耳でそれぞれ別の音楽を聴くという作業だけでも厄介だろうが、クラブという環境は独特であるため、実際は更に厄介だ。まず問題になるのは、サウンドシステムから吐き出される大音量だ。これはヘッドフォンの音量を上げることで対応可能だが、こうすることで当然のことながら聴力にダメージが与えられる。またメインのサウンドシステムを遮断し、分離されたサウンドを提供するという意味で、ヘッドフォン自体の密閉度やフィット感も大切になる。そして雑音に溢れ返る環境下では、パンチが効いていて、ビートの軸となる低音の解像度に優れたサウンド特性も必要になる。

尚、DJ用ヘッドフォンに求められるのは、このようなクラブ環境下でのサウンド面での対応能力だけではない。ターンテーブルやミキサーに刻まれた傷や、破損したノブなどを見れば、DJ用機材がいかに酷使されるかが理解できるが、このような常設機材はDJが持ち歩くわけではない。しかし、ヘッドフォンに関しては、一晩のうちに何回も着脱され、ヘッドバンドは伸縮を繰り返し、ハウジング部のパッドも幾度となく押しつぶされる上に、DJが終わると殆ど何も保護されていない形でぞんざいにバッグに放り込まれて携行される。つまり耐久性と携行性も求められるのだ。

結局のところDJがヘッドフォンに求める部分は多い。よって、ヘッドフォンは他の機材よりもDJ自身が選べる部分が多く、前述の耐久性などに限らず、彼らの様々な要求をいかに忠実にクリアできているかに基づく数々の評価が生まれ、その中から「スタンダード」が生まれてきたのも納得できる話だろう。そしてそのスタンダードが今回紹介するSennheiser HD25だ。

HD25の大きな魅力は、しっかりとした機能性が備わっていないのではないかと思わせるその作りにある。DJ用として市場に出回っているヘッドフォンの多くはいかつく、耳全体を覆うような大きなハウジングになっており（耳覆い型）、キラキラと輝くようなルックスになっている。このようなサイズとデザインは強度と、大音量、そして高級感を表現していると言えよう。一方、HD25（正式名称HD25-1 II）はこのような製品群と比較すると非常に華奢で、プロユースのモデルよりも劣って見える。HD25は殆どのパーツがプラスティックで、ビニール製のカバーで覆われた小さなハウジング部は、アイスキャンディの棒のような、か弱く見えるヘッドバンドに固定されている。ハウジング部に接続されているケーブルはむき出しで、そのハウジング部は片方が前後90度に曲げることができるという変則式になっている。尚、ハウジング部を固定している細いヘッドバンドは更に細いヘッドバンドを2本組み合わせた形になっている。また多くのDJ用ヘッドフォンがクラブのライティングで輝くようなきらびやかなルックスである一方、HD25はマットブラックで、魅力的なルックスとは言い難い。要するにHD25はあらゆる点において、一般的なDJ用ヘッドフォンのルックスや感触の真逆とも言える方向性が打ち出されている。

ただし、正確に言えばHD25は元来DJ用として製作されたヘッドフォンではない。1988年にマイクや航空用ヘッドセット、そしてプロ用のオーディオ機材用メーカーとしてドイツで立ち上がったSennheiserは、音圧と遮音性が重要視される映画やテレビ業界を販売の基盤としていた。作りは非常に華奢だが、長時間の使用でも非常に快適（特にヘッドバンドを分割して装着した際は）で、前後90度に曲げられるハウジング部は、アナウンサーなどが自分の声を直接聴くのに向いていた。また、サウンド特性はハイファイなサウンドシステムやコンシューマー用サウンドシステムのような聴きやすいサウンドよりも、忠実な再現性を重視していた。このサウンド特性は味気が無く、いわゆる一般的なリスニング用としては向いていなかったが（慣れてしまえば問題ないが）、現場のモニター用としては非常に優れていた。

そして90年代中盤に入ると、DJたちがこのような特徴を持つHD25に注目しはじめた。要するにDJもTVや映画のサウンドエンジニアと一緒で、大音量に耐えられ、正確な再生能力を持ち、遮音性に優れ、装着が快適なモニターヘッドフォンを探していたというわけだ。そしてTechnics 1200シリーズが偶然DJのニーズにすべて応える機能性を携えていたのと同様、HD25もその仕様を変更することなく市場に受け入れられることになった。尚、前述した特徴である、むき出しのケーブルやハウジング部との華奢な接続部分は欠点ではなかった。HD25では、ハウジング部のパッドが古くなった場合や、ケーブルの接続部がダメージを受けた場合は、ヘッドフォン全体ではなくその部分だけを交換することが可能なのだ（短くて固く、絡まりやすい標準装備のケーブルもSennheiserの他のモデルよりも低スペックと言えるが、このケーブルもより頑丈なケーブルやカールコードに変更することが可能だ）。

典型的なDJ用ヘッドフォンの派手なルックスと比較するとHD25のルックスは控え目で洗練されており、2000年代に派手なDJたちが避けられ、「ミニマル」がダンスミュージックの主流となった際、このようなルックスを持つ、無名に近いヘッドフォンがユビキタスな存在となり、DJたちがスタイルの変遷と共にこぞってこのヘッドフォンを使い始めたという話は非常に分かりやすい。尚、このヘッドフォンが時代を象徴する存在になったのと同時に、SennheiserはHD25の別バージョンとしてインピーダンスを下げて、スマートフォン対応のリモコンが付属した、Xone:92ではなくiPhoneに繋げるための製品Amperiorを発表している。また、AIAIAI TMA-1のような新世代ヘッドフォンも、HD25の漆黒の控え目なデザインが無ければ生まれていなかっただろう。

とはいえ、DJ用ヘッドフォンの市場には未だに大型できらびやかなモデルが存在しており、大きく派手なハウジング部と頑丈なパッドが施されたヘッドバンドを持つこれらのモデルはこれからも高い人気を誇るだろう。しかし、今度パーティーから帰ってきて、ケーブルが絡まって疲弊してはいるものの、どこも壊れていないHD25をレコードバッグの底から取り出した際には、このヘッドフォンがDJブース、そしてそこにまつわるラフな生活にいかに見事に対応しているかについて改めて考えてもらいたい。