DJ用機材の中で、実は一番良く理解できていないのがターンテーブル用カートリッジだろう。この部分がレコードの溝をサウンドに変換することは知っているが、その仕組み、そしてどこが個体差を生じているのかについて考えたことがある人は少ないはずだ。実際DJカートリッジにおける「良さ」が何なのかについてもいまひとつ理解できていない。それが音なのか、グリップ力なのか、耐久性なのか、はたまたオーディオマニアだけが気にするようなものなのか。多くのDJにとっては、レコードから音が聴こえればそれで十分なのだ。

しかし、カートリッジはレコードとサウンドシステムの接点であるため、その選択が重要な意味を持つことを私たちは肌感覚で理解している。この部分で失敗すれば、耳に届くまでのすべてのプロセスに影響が出てしまう。レコードに直接触れるという意味では、一度の衝撃にしろ、時間経過によるゆっくりとした侵食にせよ、レコードを傷つけてしまう可能性がある。またオーディオに詳しくない人でも、ビートマッチやスクラッチはもちろんのこと、軽いキューイング（頭出し）にさえ耐えられない針が存在することは多分知っているだろう。

ここ10年の間にDJブースを覗いたことがある人ならば、Technics 1200のトーンアームからアリクイの鼻のように伸びているOrtofon Concordeのヘッドシェルを見たことがあるはずだ。簡単にセットでき、ルックスも見事なこのデンマーク製の針こそが今回の記事における「スタンダード」（少なくともハウス／テクノにおいて）なのではないかという議論は当然あるだろう。数々のベッドルーム、そしてクラブでこの針が何年にも渡り愛されて使われてきたのを筆者も見てきた。

そこで登場するのが、2012年にベルリンでCritics Roundtableの取材中、マスタリングをトピックとして取り上げる際に出会ったDubplates & Masteringでエンジニアとして働くCGBことChristoph Grote-Beyerborgだ。彼は話の中でOrtofonを「二流で、最低の針だ」とし、Shure's M44-7の方がDJには向いているという発言をしていたのだが、実際取材後に私たちがOrtofon Concorde DJ SとCGBが持ってきたShure M44-7の比較テストを行うと、彼の言う通りその差は明確であり、私は家に帰ってすぐにM44-7を注文することになった。

この取材を思い出したのは、スタンダードシリーズでTechnics 1200シリーズを取り上げたあと、CGBがこの記事に載っていない技術仕様についてコメントを残したのを見つけた時だった。この時点で筆者は、パンチの効いたサウンド特性、ダンスミュージック界における長い歴史（ちなみにこのシリーズで取り上げたどの機材も長い歴史を誇っている）、そして近年の人気復活（PinchとDJ Hellがファンを公言している）という点からカートリッジ編ではShureを取り上げようと決めており、既にいくつか候補をピックアップしていたのだが、Concordeよりもスタンダードな存在として取り上げるにはDJカートリッジの内部動作についてより深く理解しなければならないと感じていたのだ。

そこで筆者は今回Dubplates & Mastering（D&M）を訪れてCGBに会い、その移動質量、トーンアームとカートリッジの関係、細かい機能などについて話を聞くことにした。1996年からD&Mに所属し、数々のレコード制作に携わってきた（ちなみにDiscogsの彼のページは36ページある）スタジオエンジニア／ライブサウンドエンジニア／DJである彼の耳は確かだった。針がレコードに触れた時に何が起きるのかについて熟知している人の数は少なく、実際このトピックについて彼よりも明確に説明できる人は筆者の頭に浮かばない。彼は特定のカートリッジを称賛するわけではなく（実際Ortofonに対する意見もトーンが柔らかくなっていた）、その代りに、何をもってしてDJカートリッジと呼ぶのか、そしてなぜM44-7が他のカートリッジよりもその定義に当てはまるのかについて包括的な説明をしてくれた。

アメリカのオーディオ会社Shureは、1950年代にステレオレコードの再生用カートリッジを初めて製作したメーカーのひとつであり、M44-7は「スクラッチDJまたはターンテーブリスト向き」で「スキップしにくく」、「高い出力を誇り」、「レコードを傷つけにくい」商品として売り出されている。しかし、CGBはこのカートリッジはヒップホップが生まれるより何十年も先に開発された製品であるとし（Billboardに掲載された記事を見ればその古さが分かるだろう）、基本的に放送用カートリッジに似ているとした。「たとえばEMTやDenonのような1950年代以降のカートリッジを見れば、今のDJ用カートリッジとデザインコンセプトが一緒だということが分かるだろう。まず、針がスキップしないようにするため重くしてある。これはラジオ局では曲の頭出しのために、バックキューをよくやっていたからだ」こう説明したCGBは、ヒップホップDJは1980年代にM44-7が再開発され、ターンテーブリストたちをターゲットに売り出されるまでShureやStantonのカートリッジを今ほどは使用していなかったと付け加えた。

CGBは1980年代にヒップホップDJとして活動し、その後ジャングル、ドラムンベース、レゲエDJへ移したが、当時備え付けのカートリッジが壊れていたギグを経験したことで自分のカートリッジを持ち込み始め、これがきっかけとなりM44-7の素晴らしさに気付いたという。「初めてShureのカートリッジを付けて、クロスフェーダーをそちら側に動かした時のサウンドは本当に大きかった。Concordeとは比べ物にならない」CBGがそう説明するそのパワフルな出力は、SeratoやTraktorがタイムコードを読み込む際に役立ったため、このカートリッジがアナログレコードにとって暗黒時代だった2000年代も生き残る原因になった。

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しかしパワフルな出力だからと言って優れたサウンドが約束されるわけではない。優れたサウンドを生み出すには、より大きなマグネットと、より大きな移動質量が必要になる。CGBはこれらが音質を下げる原因になり、またアンプへの過入力やサウンドの歪みを生むリスクを生むと説明している。しかし、M44-7はその出力の大きさよりも魅力的な特徴が備わっている。Shure M44-7を使い始めてまず気付いたのは、レコードが温かく、パンチが利いた、非常に肉体的なサウンドに聴こえるという点だった。これはダンスミュージックの12インチにふさわしい鳴り方と言える。一方Ortofonはおとなしく、細部まで再現しているというよりは、むしろドライな光沢を持ったサウンドだった。耳に楽しい部分を失うと分かっていながら何故これを使う必要があるのだろうか。

CGBはM44-7とOrtofonを比較しながら、「正直に言えばM44-7の方が音は良い。低音、高音の再生帯域が広く、ステレオ感も優れている」と言うと、Concordeの問題について話を続けた。CGBはまずConcordeがTechnics 1200シリーズのスタンダードなヘッドシェルマウントに対応していないとし、これによってオーディオ信号のドロップアウトが起きるとし、またオーバーハング（プラッターの中心にトーンアームを持ってきた時の中心から針先までの距離）もConcordeは通常の仕様とは異なっているため、トラッキング時に歪みが生じるとした（新品のTechnics 1200シリーズに付属していたオーバーハングゲージで調整していない場合、M44-7の設定も間違えている可能性がある。自分でカートリッジをヘッドシェルに取り付ければこの仕組みについて理解できるだろう）。

だからと言って、M44-7が最高のカートリッジだと言うわけではない。CGBによれば、キューイングやバックスピン、スクラッチなど、針にある種のダメージを与える動作のほとんどは優れたサウンドの追求と相反するため、基本的にすべてのDJカートリッジはサウンド面で妥協している。レコードの溝を進む針は上下左右に揺れながら溝を追っていく。そしてM44-7のようなムービング・マグネット型のカートリッジでは、針はカンチレバーを介してメタル製のコイル上を動くマグネットと繋がっており、針の動きに沿ってマグネットが動くことで電圧のようなものが生じ、それをDJミキサーが増大してスピーカーがサウンドとして出力する（ムービング・コイル型はカンチレバーがマグネットに合わせて動くスプリングを押して、移動質量を軽減させるため、針はより自由に動けるが、出力が小さくなるため、クラブに十分なパワーをミキサー側が得られない可能性があるという欠点を抱えている）。

つまり、正確な再生をするためには、溝の細部までできるだけ正確に捉えられるような、細かな動きができる針が必要になる。そのカギとなるのがカンチレバーのサスペンション性能（専門用語ではコンプライアンスと呼ぶ）だ。ハイ・コンプライアンスはより自由に動くカンチレバーを意味し、ロー・コンプライアンスは固いカンチレバーを意味する。ハイ・コンプライアンスのカートリッジはロー・コンプライアンスのカートリッジよりも細かな動作が可能だが、残念ながらバックキューのような動作には対応できない。「2、3センチもバックキューをしたら、ゴミ箱行きだ」とCGBはその脆弱さについて説明する。

また針の形状も再生に影響を与える。ハイファイ用の針は楕円形、もしくは超楕円形で、細くなっている部分が溝に接するようになっている。この形状により、針は溝の細部まで追うことが可能だが、アライメントが取られていない場合は、歪みや音像の狂い、ステレオ感のずれなどが生じる。一方、M44-7に採用されているような球状の針は、楕円形に比べ再生能力、特に高音における再生能力に劣る。「大きな球状の針を使えば、細い溝に針が入り込めない。ただそこをなぞるだけになる」とCGBは説明するが、カートリッジのアライメントがしっかり取られているかどうかを問わず、一応溝に沿って進むため、レコードの状態保持、そしてレコード全体の再生という点においては、前者に比べリスクはかなり小さい。

CGBはこのようなM44-7のデザインが「美しいサウンド」を遠ざけてしまうと言う。「素晴らしいステレオシステムとリスニングルームがある家で、ちゃんとマスタリングされたCDと同じ内容のレコードをShureやConcordeで再生してみると…」ここまで言うと少し考えたCGBは、「結局はどんな音楽を再生するかによって評価が変わってくる」と言い直し、「たとえばドラムンベース、クラシック、アコースティックなジャズがあるとすると、後者2つはCDのサウンドの方が良いと感じるだろう。だが、この2つを良質なハイファイの針で再生すればレコードの方が良いと感じるだろう。ハイ・コンプライアンスのカートリッジはサウンドに大きな差を生みだす」と続けた。

CBGは「聴く音楽によって異なる」という部分を強調した。クラブのサウンドシステムは細かいサウンドを強調するようなチューニングが施されていないので、ハイ・コンプライアンスな針が向いていないが、M44-7では、高域の再生力の問題がドラムマシンの奏でるシンバルに太さを与え、このカートリッジ特有のコンプレッション特性が低域を持ち上げるという訳だ。Dubplates & Masteringに関連するベルリンのレコードショップHard Waxは試聴機の針にM44-7を使用している。これは耐久性の問題だけではなく、彼らの扱うテクノレコードの特徴である「パワー、ヘヴィネス、荒さ」が正しく聴こえるようにという配慮から選ばれているのだ。

上記のような難しい問題を抱えながらも、クラブに好まれるサウンドを生みだすこのカートリッジは、嬉しい誤算と言えるのかもしれない。しかし、CGBは独特の音楽性を保ちながらスキップに対する耐久性を持つこのカートリッジのデザインに心から感心しているようだ。筆者がこのカートリッジのプロダクトデザイナーの意図が理解できるかと訊ねると、CGBは初めて困ったような顔をして次のように答えた。「カンチレバーのデザインは秀逸だと思う。コンプライアンスなどすべてが正しく調整されている。ただし、自分はそこまで詳しく分からない。これは本格的なエンジニアリングが生んだ代物だ」