ここ数年間、Mutek、Semibreve、SonarSound Tokyoなど、先進的なフェスティバルを訪れた人たちは、それまで名前を知らないに等しかった、とある日本人のオーディオ・ヴィジュアルアーティスト黒川良一によって大きなショックを受けている。しかし、本人はまったくの新人という訳ではなく、サウンドとヴィジュアルをひとつの衝撃的なオルガスムスにまで丁寧に導いていくその手法で、10年以上に渡りマルチメディアアートシーンで活躍を続けている。しかし、彼がギャラリーやアートフェスティバル以外のシーンで本格的に認知されるようになってきたのはつい最近のことだ。同じ日本人である池田亮司や真鍋大度と肩を並べているとは言えないが、彼らからの距離は決して遠くはないように思える。

1978年に大阪郊外で生まれ京都で学んだ黒川は、今の仕事に出会ったのは偶然に近いとしている。「10代後半に遊びで作品を作り始めたのが最初です」メールでインタビューに答えた彼はこう振り返る。「当時僕の回りには優れた音楽や映像を生み出す友人が沢山いたので、一緒に何かをやるチャンスが沢山ありました。それが結果的に本格的な制作につながっていきました。自分がアートの世界に進むなどとはまったく考えていませんでした」また、独学で学んだ黒川は、美術系の大学に通ったわけでもなく、「元々はアートというよりも、映像や建築、特にデザインに興味を持っていました」と続けており、Charles Eamesのような工業デザイナーに影響を受けて作品制作を始めた彼は、もうひとつの大きな影響として、UnderworldのKarl HydeとRick Smithが所属するデザインチームTomatoの名前を挙げる。「90年代後半にTomatoのことを知りました。まだ学生でしたね。以来、彼らは僕から近いところにいます」

Ryoichi Kurokawa

2003年に日本のレーベルProgressive FormからCD／DVDのフォーマットでリリースされたアルバム『copynature』でデビューを果たす。その後の初期黒川を支えたのがYMOの細野晴臣で、黒川は彼のレーベルDaisyworld Discsから2004年に同じくCD／DVDでセカンドアルバム『Read』（現時点での最新作に相当する）をリリースしている。また、エレクトロポップの重鎮である細野は、YMOのメンバーである高橋幸宏、坂本龍一と組んでいたSketch Show及びHuman Audio Spongeのライブ映像の制作を若き黒川に任せた。「僕は当時20代でしたし、経験がありませんでしたが、自由にやらせてくれたので、良い経験になりましたね」2007年にはop.discのアーティスト、Yoshihiro HannoことDARTRIIXや、AOKI takamasa、ditchのミュージックビデオを制作し、作品を残している。

また、21世紀に変わる頃にパリで1年を過ごしたことも同様に大きな影響を黒川に与えることになった。現在ヨーロッパでフルタイムで活動を展開している黒川は、2年間ブリュッセルで過ごした後、2010年に「環境を変えたかった」ことを理由に、現在住んでいるベルリンへ居を移した。現在もエージェントはブリュッセルにあるが、黒川は本人とアシスタント1人という少人数体制で、ベルリンのスタジオで全作品を制作している。「僕の仕事の大半はヨーロッパですから、ここに拠点を置いているのはアドバンテージですね」

2000年代中頃から、黒川はサウンドとヴィジュアルをシンクロさせて共感覚的なものを生み出すという彼独特の手法に専念しはじめた。この手法は池田亮司（偶然なことに彼もまた長年日本国外に拠点を置いている）の作品群と表面的には似ているが、池田亮司が純然たる数学や量子力学からインスピレーションを受けた作品を発表しているのに対し、黒川はより自然界に根付いた作品を制作している。彼が使用する素材はフィールドレコーディング、写真、映像などだが、それらはその姿を認識できないような形にまで変化する時が多く、環境音が電子的なグリッチ音へ変わり、蠢くデジタルの粒子から見慣れた写真や図形が生み出される。本人はこれを「自然の再構築」と説明している。

こうして生み出される効果は、困惑を招くと同時に畏怖の念を持たせるものだ。2010年にPrix Ars ElectronicaでGolden Nica Awardを受賞した『rheo: 5 horizons』は、スクリーン5面それぞれが異なるオーディオチャンネルに同期されている没入感溢れるインスタレーションで、自然風景を捉えたその映像は、それが何なのかが確認されるよりも前に融解し、点滅と躍動を繰り返すヴァーチャルな映像へと変化し、雅楽的なドローン、カモメの鳴き声、サブベースや静電気ノイズとパーフェクトなユニゾンを形成していく。流動性と人間の記憶力を探求したこの作品は非常に魅力的だが、これは頭で分析する作品ではなく、実際に体感する必要があるアートだ。

黒川は自然界への興味は、郊外で育ったことで培われたとしている。「僕のアイディアの多くは、自然から得られるものです」昨年のThe Creators Projectのインタビューで彼はこう説明している。「アート、または人工物というのは時間や空間を圧縮します。自然にはできないことができるということです。そこが僕のアートと自然が一番密接に関係しているポイントだと思います。僕は空間的に時間的に音をどうデザインするか、音をどう時空間に彫刻していくのかに取り組んでいるんです」

黒川が拘っているもうひとつが共感覚だ。これは異なる感覚が合わさる知覚現象で、例えば音を聴いたり、数字や文字を見たりした時に色を感じるような状態を言う。 Franz LisztやOlivier Messiaenから、Tori AmosやPharrell Williamsなどのポップスターまで、音楽史には共感覚を有する人物が数多く存在するが、自分は彼らとは違うと黒川は言う。

「共感覚は、キャリアをスタートさせてからずっと僕の作品における重要な軸のひとつですが、僕自身は共感覚者ではありませんし、実体験したことがないんです。僕はオーディエンスの視覚と聴覚を同時に刺激することで共感覚的な効果を生み出そうとしています。本来の共感覚は非常に個人的な感覚で、多様ですから、共感覚者が僕の作品を体感する場合、その感覚は個人個人で異なるものになると思います」

Ryoichi Kurokawa

黒川が共感覚をシミュレートした作品で初めて脚光を浴びたのが『cm: av_c』（2005）で、これはステレオサウンドと共に、異なったイメージが2画面に投影されるオーディオ・ヴィジュアルパフォーマンスだった。これはその後、『syn_』（2011）としてリファインされ、共感覚体験を強めるべく更に力強いオーディオ・ヴィジュアルが使用された（てんかんに対する注意も添えられている）。黒川はこの作品のメモの中で、より映像的な作品『rheo: 5 horizons』と異なり、これは映像ではなく音楽として捉えた方が良いとしており、「頭で徐々に理解するようなものではなく、耳と目で同時に感じ、そこから直接刺激を受けるものです」と記している。

オーディエンスを前にしたパフォーマンスとしての『syn_』は、黒川がその時々で良いと思った素材が使用される（今週末東京にいる人は、 Max LoderbauerやDasha Rushなどを迎えて代官山UNITで開催されるイベント『Resonanz』でそのパフォーマンスを体感できるだろう）。元々異なったバックグラウンドを持つ黒川だが、クラブシーンのヴィジュアルと音楽の動向に目を向けていると言う。「クラブカルチャーは僕に大きな影響を与えていて、今の活動においても重要な位置を占めています。VJシーンがオーディオ・ヴィジュアルアートを前進させたのではないかと考えています」

そしてテクノロジーも当然ながらその進歩に影響を与えている。『syn_』のような作品で表現される複雑な映像は10年前には再現不可能だった。「テクノロジーはメディアアートにおいて重要な役割を担っていると思います。僕の作品においてテクノロジーは一番重要な要素ではありませんが、僕のアイディアに閃きを与えてくれる時が多いのは確かです」そう言うと、黒川は最近の作品『mol』（2012）を引き合いに出した。オーディオ・ヴィジュアルインスタレーション／ライブパフォーマンスであるこの作品は、元々はホログラフィックHDプロジェクションテクノロジーを利用しようとして考案されたものだ。

広告やPerfumeのようなチャートを席巻するポップミュージックを手掛け成功を収めている真鍋大度のような道を進むつもりはあるのかと黒川に訊ねると、彼はオープンな姿勢を見せた。「商業的な世界に身を置くことは考えたことがありませんが、初めから僕の中でコマーシャル、アート、デザインなどは細かくカテゴライズされていないんです。他のフィールドで面白そうなものがあれば、今までとは違った表現方法が生まれるかも知れませんね」

そしてその違った表現方法の受け入れ体制は整っている。考えられるありとあらゆるテクノロジーの限界を押し広げようとしているように思える黒川だが、自分の手法の大半がやや古いと感じているようだ。「僕はカッティング・エッジと言われるものに目を向けていないのですが、その一方で、オーディオ・ヴィジュアルアートというフォーマットは既にかなりクラシックなものだと思っているんです」