「皆しばらくここに、このゾーンに居るんだ。そして上がったり、下がったりを繰り返す」

とある湿度の高い水曜日の夕飯時、ユトレヒトにて。元々舞踏場であったこの靴箱の形をした建物の、ステージがあった場所に設置された簡易スタジオにて、Mathew Jonsonがミキシングボードで作業をしている。このスタジオ空間は黒いカーテンで他の空間から仕切られており、寄せ集められたいくつかのランプがこの空間に暖かい光を与えている。そして何台ものドラムマシンや、マットレスほどの大きさのモジュラー・システム、 3、4台のMacBookなど、機材で溢れている。あまりにも多いため、ミキシング卓の向こうの巨大なAdam Audioモニターから流れている濃厚なサウンドの中のどの音が、どのマシンから発されているのか解らないほどであった。

Jonsonはセッション中ほぼずっと、部屋の後方にある古ぼけたレザーのソファに座っている私に背中を向けたままであった。足を広く構えた彼の手の届く位置には、スタジオの前方の機材がほぼ全てあり、彼はツマミをいじりながら身体中でグルーヴを感じ、ベースラインを即興演奏している。そして彼は時おり後ろを振り返り、他のセッション・メンバーたちがやっていることを確認する。他のセッション・メンバーとは、Jonsonの右側で複雑なMIDIシステムを操作する、元MinilogueのSebastian Mullaertと、モジュラーをパッチしている、オランダ人トランペット奏者／ヒップホップ・アーティストのColin Benders別名Kyteman、Bendersの向かい側でAbleton Pushを操る、Mathewの実弟のHrdvsionことNathan Jonson、そして、モニターとは反対を向き、部屋の後方のテーブルに並べたMPCやエフェクターをプレイする、Colin de la Plante別名The Moleのことだ。弾力のあるテクノがどんどんと出来上がっていくなか、メンバー達の頭はリズムに合わせて上下に揺れる。トラックはブレイキーなドラムと、歪ませたシンセ、繊細なキーボード・メロディーとトリッピーなサンプルがちりばめられた壮大なものに仕上がっていた。（サンプリングは、どうやらこのセッションのディティール担当となった、de la Planteによるものだということは解った）たまにタバコ休憩をしたことや、DAWを止め機材のクロック調整を行ったことを除くと、このジャム・セッションはほぼ次の日の朝まで継続した。

これは、今年のStudio Stekkerで私が目の当たりにした数々のセッションのうちのひとつである。Stekker In Het Parkとは、ユトレヒトの郊外で開催される野外エレクトロニック・ミュージックフェス、Stekker In Het Parkから派生した、比較的新しいオフシュート・イベントだ。去年、フェスの運営陣がブッキングしたアーティストたちに、1週間早めに集まり、複合スタジオで他のアーティストたちとセッションをしないか、と提案したことが全ての始まりであった。その1週間は大盛況に終わり、質の高い作品が生まれただけでなく、参加者の間にとても強い仲間意識が芽生えたことから、今年第２弾を開催し、今後も毎年行うことになったのだ。

このイベントのコンセプトはあまりに単純で、なぜこのような催し事がもっと存在しないのか不思議になるほどである。似たイベントを挙げるとしたら、Red Bull Music AcademyよりもLevon Vincent Apprenticeshipを思い出す。ひとりのアーティストのクリエイティビティを、もうひとりのアーティストが育み、助長することができるという珍しい空間だからだ。しかし細かい部分にまで目を向けると、大変な部分もあることが解る。1週間スタジオで制作して過ごすというオファーは、アーティストにとってはこの上ない機会だが、彼らのエージェントにとってはあまり好ましい話ではない。フェスティバル・シーズンの絶頂期に1週間もギグなどが受けられない期間を作ってしまうことを意味するからだ。そして、誰が何を持ち込み、誰がセッションから何を持ち帰るか、どうやって集団疲労を回避するか、そして赤の他人を一ヶ所に集めて、どうやって1週間良い雰囲気を持続させるか、といったことも悩みの種となっている。そして、こういったプロジェクトにおける成長とは、何を意味するのだろうか？規模が拡大し、より洗練されたものになっていくのは、そもそもこのイベントの目的に反する可能性がある。こういったクリエイティブなイベントの運営を持続させるには大抵の場合、企業のブランディングであれ国の援助であれ、バックに強力なスポンサーがいることが条件になる。であるが故、Studio Stekkerの真の目的や裏側の事情に関して懐疑的な気持ちを抱きたくなってしまうことも否めない。

Studio Stekkerの企画／運営陣は、オーガナイザーのGeurt Kersjes （皆にはPittoと呼ばれている）とThijs de Boer、彼らの右腕Wanne van den Bos、父親がこのスタジオKytopiaの運営者であるBenders、Studio Stekkerの類い稀なシンセ・コレクションを管理しているAllert AaldersとBen Spaander、そして多数のボランティアやサポート・スタッフから成る。私がユトレヒトに滞在していた1週間の間、彼らは創作活動を潤滑にするための空間作りに全力を注ぐ以外、何もしていなかった。ルールは無し、既成概念も無し、という彼らの考え方はただのうわべではない。本当にルールらしいルールが無いのだ。初日の晩のディナータイムの時、参加者の前で背の高い、ひげ面のPittoがあいさつをしたが、彼はいくつかルールがあると言っていたもの、なかなかそれらを話そうとしなかった。最終的に彼が述べたのは、建物の中は禁煙ということ、そして玄関の戸締まりに注意する、という点のみであった。近所の変質者がよく服がはだけた状態で勝手に入って来ることがあるのだと、彼は忠告していた。

Geurt Kersjes (Pitto)

2年前のStekker In Het Parkの開催時、出演者であったJunior BoysのMatt Didemusに、Pittoは自身のKytopiaスタジオを見せびらかしていた。「彼が“来年、友人やアーティスト達を集めて、数日間ここでちょっと遊ぶのはどうだい？”と提案してきたんだ」と、Pittoが言う。「その時、このアイディアが生まれたんだ」。Bendersはそのアイディアに可能性を感じ、翌年、2013年のStekker In Het Parkへのブッキングを検討していたアーティストの何人かに、このアイディアをオファーした。Studio Stekkerに隠れた意図があったとしたら、それは、毎年の夏、何百という数のフェスがヨーロッパで開催されるため、他とは一線を画して何か違うことをしたい、といういたって悪意の無いものであった。

「夏のツアーの途中の休暇期間に、サマーキャンプをやっている感じだ。その言い方はちょっとあれかもしれないけど、とにかくリラックスできて、人と出会えて、音楽が制作できるんだ」と、ビールを飲みながらde Boerが教えてくれた。Stekker以外では、彼はアムステルダムやオランダ各地のイベントのプロモーターをやっており、フェスのインフラや資材調達のシステムを提供する仕事をしている。「ここで皆長いこと制作に没頭しているけど、終わって出て来るとき、皆とてもリラックスしているんだ。それは、制作をすることを誰も強要していないからだと思う。皆自転車が支給される。自由に街を出てもいいし、ハイになってもいいし、何やっても良い。俺は気にしない。しかし幸運にも、ほぼ全員ここに留まって、皆と音楽を制作している。だから、ルールは定める必要はあるだろうか？“ルール無しでやってみて、どうなるかみてみよう”という気持ちで始めたのさ」

今年のStudio Stekkerは、新しい移転先のおかげでより自由奔放なムードが漂っている。イベント開催の3ヶ月前、Kytopiaが入っていた建物が再建されることを彼らは知らされ、即時に新しい建物を見つけなくてはいけなくなった。Bendersはオランダの他の土地へとスタジオを移転するオファーを受けていたが、そうなるとユトレヒトのカルチャーにとって大きな損失となることは明白だった。ところが同時期に、同市の音楽シーンに大きな影響を与えるもうひとつの出来事が発生していた。ユトレヒトの最も有名なコンサート会場、Tivoliが、オーデフラハト運河沿いの非常に古い建物から、駅の側の近代的な建物へと移り、クラシックやジャズのプログラムで知られる会場、Vredenburgと合併されることになったのだ。Tivoli閉館までのラスト1週間の夜の公演を、Bendersが率いるKyteman Orchestraが演奏し、チケットは完売した。その期間中、Tivoliの役員がBendersを連れて会場内を案内した。Kytopiaの新しい引っ越し先の候補にTivoliが浮上したのだ。

「俺はTivoliで育ったようなもんだ」と、Bendersは言った。Studio Stekker期間中、私が話を訊いたオランダ人は皆、ユトレヒト出身であろうがなかろうが、同じ気持ちであった。オランダで生まれ育ち、音楽に少しでも興味がある人であれば、誰もがTivoliに関する思い出を持っているのだ。そしてこれは、Bendersのスタジオのコンセプトに不思議な形でマッチしている環境でもあった。「建物を案内してもらっているとき、見ればみるほど、こんな良い場所を断ったら後で絶対に後悔する、っていう気持ちが強くなっていったんだ」。今年のStudio Stekkerの参加者が集合した2週間前、Kytopiaの運営陣がTivoliの鍵を受け取った。イベント開始時もまだ整備が終わっておらず、迷路のように入り組んだ建物のいくつものホールには、壊れたピアノやオルガンが並び、スタジオ・モニターとノートパソコンが置ける広さのある空間全てに、簡易スタジオが設置されていた。

Jenny Rossander (AKA Lydmor) and Andreas Arenholt Bindslev

初日のディナーが終わると、参加者はホールを彷徨い、これから1週間を過ごすことになる制作スペースを選んだ。どのスペースも特徴的であった。のちにフェスで披露するコラボ・ライブセットを作り上げるつもりでいたMartin Stimmingと、シュトゥットガルトのプロデューサーJohannes Brechtは、元切符売り場を作業場に選んだ。これは道沿いの細長い部屋であり、天井は黄色、紫と赤のステンドグラスだ。Didemusとモントリオールのプロデューサー、Iron GalaxyことAdam Hodginsは、学校の校庭に面した大きな窓のある、建物の後方の離れた部屋を選んだ。デンマーク人シンガーのJenny Rossander (別名Lydmor) と、彼女のプロデューサーAndreas Arenholt Bindslevは、最上階にちょっとしたスペースを確保したが、アコースティックギターを持って庭で作曲している姿をたまに見かけた。Francesco Tristanoと、一緒にライブ／スタジオ・プロジェクトを制作しているイギリス人のベテラン・エンジニアSie Medway-Smithのスタジオでは、戸棚の戸を活用して机代わりにしていたが、戸棚を使おうとしている人にその戸を帰して欲しいと言われているワンシーンもあった。キックドラムやシンセ音に対抗して、ドリルやハンマーの音も時おり会場内に響いたが、誰も気にしない。こういった無秩序さは、このイベントのムードにマッチしていた。ここでは、完璧に磨き上げられたものを作りだすことは非現実的であるだけでなく、誰も求めていなかったのだ。

大半のアーティストはそれぞれ制作チームを形成し、1週間ほぼその中でずっと作業していたが、例外も居た。元Azari & IIIのメンバーのAlixander IIIことAlphonse Lanzaは、当初HodginsとDidemus（彼らとは90 年代からの付き合い）と制作していたが、じきにフラフラと彷徨うようになり、フラっと人のセッションに入っては誰かを驚かす、ということをして過ごしていた。とある日の午後、Freud Am Tanzen所属のヴォーカリスト、Delhia de FranceことFranziska Grohmannが、メインホールのグランドピアノでレコーディングをしているとき、彼が後ろからそっと近づき、メガホンを取り、大声でカウンターメロディーをハミングするのを目撃した。（Lanzaの父親も彼と一緒にトロントから来ており、開催期間中彼もスタジオ間をよく彷徨っていた。彼はStudio Stekker 2014のマスコットとなり、会話がシリアスになり過ぎたときには場を和ます、庶民的な存在として愛された）

Grohmannは比較的一匹狼であり、テクノのインスト・トラックにヴォーカルを乗せたがる人がいると、彼女はノートPCとマイクを持ってセッションに参加し、優美で霊妙なヴォーカルを即興で録音した。彼女がJonson／Mullaert／de la Planteのセッションに参加し、Mathew Jonsonのアンセム・トラックの骨組みに官能的なヴォーカルを乗せたとき、今回の最高峰の瞬間が生まれた。ジャムが終わるころ、Jonsonは彼が今住んでいるベルリンでヴォーカリストをずっと探していたと明かした。彼のスタジオの比較的付近に住んでいるGrohmannは、後日会って同曲をレコーディングし直すことを約束していた。そしてフェスの当日、JonsonとNathan、de la Planteらのライブセットに彼女も参加した。

大抵の場合、プロデューサーたちは各々の制作スペースで作業に没頭していたが、皆が良く集まる場所は何ヶ所かあった。例えば、建物の最上階の窓が開けられた空間では、彼らはタバコを吸ったり、蒸し暑い30度の空気を吸って気分転換をし、キッチンの冷蔵庫では常に冷えた缶ビールが手に入り、オーデフラハトのスーパー、Albert Heijnではミックスナッツやベリー、ゴーダチーズなどおやつを買い、そして庭では夜7時にボランティアの人達が準備する、ゆったりとした晩餐が行われた。ここでオーガナイザーや参加者が制作について、あるいは人生について語り合うのであった。

Sebastian Mullaert, The Mole, Mathew Jonson

しかし最も重要な共同スペースは、同イベントの切り札である、AaldersとSpaanderによるシンセ・スタジオ、Sonar Trafficであった。AaldersとSpaanderは元々Tivoliで音響マンとして働いていた2人であり、彼らは数年前にお互いのシンセ・コレクションを一ヶ所に集めることを思いついた。そして出来たのは、ベッドルーム・プロデューサーにとってヨダレがでるほど魅力的な機材で、彼らの楽曲に肉付けを行うことができるスペシャルな場所だ。今やSonar Trafficではあまりにシンセが集まってしまっているため、オーナーたちは貴重なシンセがあるにも関わらずプレイしないものもあると言う。その存在に慣れて麻痺してしまうからだ。去年も彼らはStudio Stekkerに協力していたが、スタジオは同じ空間にあったわけではなく、彼らのシンセを使用したければ車で彼らの古いスタジオに行かなくてはならなかった。しかし今年の新しいスタジオでは、Sonar Trafficは屋根裏のスペースをゲットし、彼らが所有するシンセがほぼ全て持ち込まれた。参加者は基本的にどのシンセでも各々の作業スペースに持って帰る（か、その場でサンプルを録音してしまう）ことができ、常識の範囲内であれば、土曜日のフェス本番のライブでも使用して良いことになっていた。AaldersとSpaanderの2人は夜遅くまで、どのJunoやJupiterがトラックに合うかアドバイスしたり、EurorackシステムのFMパッチをカスタマイズしたり、ビールを何杯も飲みながら、哲学的な話をしていた。

「ヤバいジェットコースターに乗ってる気分だよ」と、木曜の夜遅くに私が訪ねたとき、AaldersはStudio Stekkerについて語ってくれた。機能的な黒いズボンに実用的なブーツ、そして有名なシンセメーカーのロゴをあしらったTシャツを来た彼は、バンドのローディーに見える出で立ちであった。「感性の近い人達とずっと一緒にいるからさ。英語で“Gezelligheid（へゼリッヒハイト）”は何と言うのだろう？これは英語にないオランダの言葉で、“人と一緒に居て、居心地の良い、楽しい時間を過ごす”という意味なんだ。皆それぞれの制作スペースで作業していて、俺はちょっと顔を出して様子を見て、ちょこっとアドバイスしたりする。それが凄く楽しいんだ。大変なときもあるけどね。同時に5人に質問攻めにあったりしてね。しかし、ここで生まれている作品も良いし、楽しいね」

Top: Nuno Dos Santos, Bottom Right: Allert Aalders

どのスタジオ・スペースにも、彼らが家では使えない機材があった。RossanderとArenholt BindslevはRoland Jupiter-4を手に入れ、美しいスウィーピング・パッドを奏でていた。TristanoとMedway-SmithはKorg PolySixを借り、うなるようなベースラインを響かせていた他、Yamaha DX7の台数が足りなかったため、DX7ほど有名ではないDX11を手に入れていた。そのことから、会話をしているときに「DX11」をわざと素早く、解りにくく発音し、「DX7」に聞こえるように喋る、というジョークが彼らの間で流行り出した。DidemusとHodginsは、近所の楽器店のコネを通して、今回最もレアな楽器を手に入れていた。90年代後半にほんの75台しか製造されなかったモジュラー・シンセ、Synton Fenixだ。プログラミングは相当難しそうであり、パッチは復元が困難であったようだが、このマシンが生み出す、澄んだ、立体的な音は、アコースティック楽器の音色のそれと同様に生々しかった。Didemus、Hodgins、Lanzaの3人が最初にこのシンセを使用し始めた日、オシレーターから直に出力されているような、ほぼピュアな電子音が発されているのを聴いた。とても穏やかで暖かく、筆で深い色合いの絵の具を塗っているのを連想させた。それから彼らがパッチケーブルを繋ぎ、ツマミをひねっていくと、そのクリアな音がぐちゃぐちゃになり、切り割かれ、スチールウールで研磨されたような音になり、そしてもう2度と聴く事ができないであろう、幻のような激しいシンセリードが出来上がっていた。

Francesco Tristano and Sie Medway-Smith

この1週間、Kytopiaを行き来した私は、こういった瞬間を何度も目の当たりにした。儚く、洗練されていないかもしれないが、とてつもなくエネルギーに満ちあふれ、感性を刺激する体験の数々を。毎日様々なスタジオの椅子に座り制作を見届けた私は、突然セッションのメンバーの頭が同時に揺れ始める瞬間、何かが上手くハマり、素晴らしいものが生まれる魔法の瞬間を、最低でも1日に１度は見た。世界各地を飛び回るのが当たり前なこのシーンで、こうやって気楽に制作をすることができるこの空間は、限りなくレアなのではないだろうか。「しばらく経つと、なんだか、集団的意識みたいなのが芽生えるんだ」と、Rossanderはある晩、ディナーの後私に話してくれた。「最初に挨拶して、徐々に仲良くなって、お互いの音楽を知って、気づいたら、何かが起きてるんだ。何かが生まれているんだよ」