ベルリンの南西部、シャルロッテンブルク＝ヴィルマースドルフとシェーネベルクの隣接するエリアには、テクノシーンのトップシークレットのひとつ – 実際はオープンなシークレットだが - が隠されている。その「Martion」というスピーカーブランドの名前を聞いたことがある、または実際のサウンドも聴いたことがあるという人も少なくないはずだ。Club der Visionaereに設置されているキューブ状のスピーカー、イビサのThe Cave、ケルンのGewölbeのフロアに置かれているスピーカー、そしてRicardo Villalobosのスタジオモニタースピーカーと言えば分かるだろう。

西ドイツの小さな村に生まれた現在66歳のBasil Martionは、40余年に渡ってラウドスピーカーの製作を続けている。「ビジネスマンとしては優秀じゃない。私はどちらかというとクレイジーな技術者だよ」と言うMartionは、数人の助けを借りる時があるものの、基本的には彼ひとりで製作を続けている。独『Audiophile』誌での特集記事の掲載や、ハイエンドなオーディオ機器を扱うエキシビションでの受賞経験もあるが、彼の成功はほぼ口コミだけによるものだ。人当たりの良い温かい人柄と、その優れた耳により、キャリアを通じて多くの友情を培ってきた彼にとっては、その友情がどの広告よりも宣伝効果があるようだ。

非常にクリアで繊細だが、パワフルなサウンドを提供するMartionのスピーカーには、何かしらの特殊な技術が採用されているのだろうと思いがちだが、本人は自身の成功は製作に対する包括的なアプローチに依るものだと言う。「何かしらの工業製品の広告を見れば、その特徴について説明してあるだろう？　『NASAが開発したチタニウムを使用』、『ダイヤモンド型ツイーター採用』などと書いてある。それはそれで結構。だがスピーカーは人間と同じで、小さなパーツが集まって構成されている。例えば世界最強の片腕を持っていても、ひとりの人間としてはどうだろう？　全体が優れていなければならない。ひとつの機能ではなくてね」こう説明する彼のコンセプトは非常にシンプルだが、数十年間続けてきた製作工程は各工程をパーフェクトに進めなければならないため非常に骨が折れる。「ダンピングが非常に重要だ。コーンは静止していなければならない。あくまでムービングコイルから生まれるサウンドを再現するだけだ。風乾させた特殊なペーパーの専門家、特殊な木材から特殊な繊維を取り出す専門家、コーンに特殊なコーティングを行う専門家などがいる。こういう細かいパーツすべてを正しく調整していくことで、優れたサウンドが生み出せるようになる」

Martionは自分の製作方法は、子供が殆どいない農場で育った幼少期にルーツがあるとしている。周りに子供がいなかったため、祖父の道具を使って遊ぶ時間が多かったのだ。やがてジャズとロックにのめり込み、10代でバンドを始めた彼は、誰に教わるわけでもなく、捨てられていたラジオからラウドスピーカーとギターアンプを自作した（ちなみにその自作した10個程の小型のスピーカーはすぐに壊れてしまったらしい）。その後、1972年に徴兵制度を避けるため西ベルリンへ移り、大学で文学を専攻しながらベルリンのナイトライフを回遊していた彼は、やがてパーティーのPAには欠かせない人物として知られるようになり、偶然手にしたこの仕事は、彼に経済的な余裕を与える以上の結果を生んだ。専門大学でオーディオエンジニアのコースを専攻した彼は、大学の教授から新しいラウドスピーカーの開発について質問される立場になったのだ。

Klipschornの低音ユニットにインスピレーションを受けた彼は（他のユニットは特に良いと感じなかった）、Klipschの特徴であるそのコーナーホーンの回路図を古いバージョンから順に遡りながら研究を始め、1975年に友人と共同でKlipschを新しい素材とデザインに変えたExodusを発表した。Klipschのコーナーホーンの上に球体のツイーターとミッドを載せたExodusは、「多くの人から高評価を得た」（Martion談）が、彼の名前を有名にしたのは、1980年代にインドの宗教家Bhagwan Shre RajneeshことOshoから受けたオファーだった。Oshoの信奉者だったMartionは、1987年にインドへ向かい、技術的な制限がある中で、パフォーマンス、パーティー、講演などが行われる4000人クラスの仏殿に設置するためのラウドスピーカーとPAシステムの製作を依頼された。

「結局、私のラウドスピーカーはあの熱帯気候の中で10年以上壊れなかった。照明やエアコンなどはその10年間に4、5回は修理しなければならなかったのにね。私のスピーカーが長持ちした原因は、非常に細いグリルでコーンを覆うことで、スピーカーの内部に虫が侵入してコーンを駄目にできないようにした点にある。インドは甲虫や蜂が多いからね。またアンプを冷却するためのファンが必要だったが、ファンは不具合を起こすことがあったので、アンプ内に自然な空気の流れが生まれるようにした。こういう細かな配慮をしたのは良い体験になったし、私に対する評価も高まった。こうしてドイツ国内の人たちがやって来ては、『ディスコをオープンするので、サウンドを担当してくれないか？』と頼んでくるようになった。80年代は数多くのディスコのサウンドシステムを担当したよ」

80年代はMartionを経済的に助ける時期となったが、同時にCDの登場によってパラダイムシフトが起こった時期でもあった。「初期のCDは奇妙なサウンドだったね。聴いた後に、『これが改良なのか？　むしろ後退しているじゃないか！』と思った。当時私はフランクフルトで開催されていたハイファイ系展示会に頻繁に出展していて、世界中の人たちがCD機器を持ってきていた。私の仲間もCDプレイヤーだけで、レコードプレイヤーを持っていなかった。彼らは私のブースを見て、『おや、MartionさんはCDプレイヤーを買う予算がなかったのかい？』と言ってきた。私は『お金の問題じゃない。おかしなサウンドだから使わないんだ』と返した。すると彼らは『新しい時代が到来したんだ。レコードなんて古いから誰も買わなくなるよ』と言ってきた。そして私は『ああそうかい。ファック・ユーだ』と返し、仕事を辞めた。そして何か全く別のことをしようと思い、セラピストになるトレーニングを受け始めた」Martionはそのセラピストの勉強に励んだ6年間を全く悔いていないが、その時期に自分が本当にやりたいことはラウドスピーカーの開発だということに気づくことになった。再開当時についてMartionは、「小さなメーカーが沢山存在して、彼らはよく考えられた小型のスピーカーを製作していた。だから私は別のアイディアで新しい製品を作ろうと思った。コネもあったし、製作方法は分かっていた。そして2000年にOrgonが生まれた」と振り返っている。

MartionのフラッグシップモデルであるOrgonは、Exodusを改良した製品だ。4ウェイのOrgonの構成は、部屋の隅に設置し、その部屋の壁と床自体もホーンの延長として使用するベースコーナーホーン、ツイーター、ハイミッド（Martionは「システム内で最も重要で、最も高価で、最も高い技術が詰め込まれている」としている）、ディープミッド（ホーンの大きさは直系80cm）となっている。発表直後から大きな話題となり、『Audiophile』誌の表紙を飾ることになったが、その高評価はサウンドの再現スピード及び能率の向上に対する本人の熱意に拠る部分が大きい。「能率が向上すれば、サウンドの再現スピードが上がり、細部の変化にも敏感になる。つまり、スピーディーで敏感なスピーカーの方が、音楽の中身を引き出せるということだ。今までのオーディオ人生を通じて、ここが一番重要なポイントであることが分かったので、私はここに注力している。能率という面では、私のスピーカーは現在可能な技術の限界に近い。例えば、Bullfrogは、Martionのラインナップで最小最安だが、能率は世界最高だよ」

そのBullfrogは圧縮木材（防弾に使用されるものと同一。Orgonのベースコーナーホーンにも使用されている）を重ねて作ったキューブ型ボックスに18インチのホーンが埋め込まれており、Orgonとは違う特徴を持つスピーカーで、この度新たに完成したパッシブシステムとセットになっている。「Bullfrogはパーティー専用のスピーカーとして開発した。あるDJが私の所へやってきて、『最高のサウンドのスピーカーが欲しいんだ。パーティーミュージックに耐えられるようなスピーカーが欲しい。しかもVolkswagen Golfのトランクに入る大きさがいい。重さも僕のガールフレンドが2階まで持ち運べる位がいいな』と頼んできた。それでこの18インチのキューブ型スピーカーを製作した。ゆっくりとひとつずつ改良していった。ここへ来て初めてBullfrogのサウンドに満足することができた。パッシブスピーカーとしてね。アクティブスピーカーならば、多少の問題の解消や、電子系を使った修正が行える。だが、パッシブスピーカーは、リニアアンプとレコードプレイヤーだけで、直接スピーカーにサウンドが届くシンプルなシステムなので、そこまで変更を加えられない。つまり、かなりの技術力が求められる。周波数特性は完全線形で、素晴らしい位相反応が得られる。これはクロスオーバーポイントにおいて非常に重要だ。ベースからホーンに切り替わる時にサウンドが混乱してしまう場合が多い。だが、Bullfrogではそこが感じられない。『クロスオーバーポイントはどこだ？　ないのか？　そりゃクレイジーだ！』となる（笑）。これは数多くの経験を積んだ結果だよ。別にシークレットがある訳じゃない。そんなのはクソ食らえだ。知識とリスニングとテストの結果だ。様々な点でテストを繰り返した結果だ」

Martion Orgon

しかし、彼の研究は、アナログに対するフェティシズムだけから生まれているものではない。彼にデジタルの世界への扉を開けさせたのは、常連客のひとりだった。「デジタルが登場した時、CDのサウンドが良いと思えなかった。それで一切のビジネスを辞めた。しかし、そこからの約15年間で、CDとデジタルは向上していき、コンバーターの製作に関して業界内で有名なある企業が、完ぺきなコンバーターを製作した。AD・DA両対応の製品で、Ricardo（Villalobos）が私に、『このコンバーターを試してみるといいよ』と教えてくれた。それでアナログの回路にそのコンバーターを通してみると、ボタンひとつでコンバーターがサウンドをアナログからデジタルへ、デジタルからアナログへ変え、スピーカーに出力した。ショックだった。サウンドが良くなった訳ではなく、同じだったことに驚いたんだ。勿論、注意深く聴けば同じではないが、その違いを聴き分けるにはよっぽど注意して聴かなければならない。本当にショックだった。今日まで、アナログサウンドはアナログ機材でのみ再現可能なサウンドだと思っていたからだ。だが、今はデジタルも追いついてきている。ひとつ確実に言えるのは、未来はデジタルだということだ」

基本的にジャズとクラシックを好んで聴いているMartionは、Villalobosが00年代中頃にBullfrogを買い求めた時、MartionはVillalobosのことを殆ど知らなかった。2人は、今から30年前にExodusを購入し、Orgonも発売直後に購入したThomas Brinkmannの紹介で繋がり、VillalobosがBullfrogを購入すると、Bullfrogは急速に話題となった。「1週間で5ペアを売る時もあった。小さな企業としては素晴らしい業績だったね」（Martion）。尚、BullfrogはRichie Hawtin、Luciano、Zip、Moritz von Oswaldなども所有している。また、現時点でVillalobosはOrgonを2度購入している。

ペアで6000ユーロというBullfrogは決して安くはない。そしてペアで52000ユーロのOrgonはもはや夢の世界のスピーカーだ。しかし、この価格にはMartion本人が出向き、その部屋でチューニングする作業代も含まれている。ヨーロッパ内においては、本人がVolkswagen Busに乗せて運んでくれるようだ。テクノロジーの進歩によって、リモートチューニングが将来的にはオプションとして組み込まれる可能性もあり、価格的にも高級品だが、実際はひとりの職人によって経営されているスモールビジネスだ。「新製品を作るとしたら、未来に挑戦する製品になるだろう。改良版か、ナンセンスな製品のどちらかになるだろう。すべてカスタムメイドだ。在庫がある場合もあるが、基本的には待ってもらうことになる。そしてその時間が約束した時間よりも長くなるのが問題だね。だが最後にはハッピーになってもらえるよ」