先月、筆者は通訳とフォトグラファーと共に東京から250km西に位置する静岡へ車で向かった。Rolandの研究所へ招かれていた私たちは、そこでエンジニアから話を聞きつつ、ユニークなオルガンやドラムマシン、シンセサイザー、エフェクターなどを見学することになっていた。Rolandのエンジニアたちは積極的に話すタイプではなく、例えば通常アーティストに対して訊ねる「今後手がけたいと思っているものはありますか？」などという質問をしても、緊張した笑いを浮かべ、広報担当の方を見やるだけであり、Rolandに招かれるジャーナリストの数自体も多くなかった。しかし、今回の旅が聖地巡礼のようなムードを醸し出していた理由は、貴重な取材の機会を与えられたからだけではなかった。富士山の南側に伸びる東名高速道路を走りながら、私たちはスタジオテクニックや好きなプロデューサー、最近買ったレコード、BerghainやLabyrinthで聴きたいアーティストなど、テクノ好きが集まった車内ならば当然とも言える話題に華を咲かせていた（DJ/プロデューサーでもある通訳は、修理を頼みたいという理由で自身が所有するTR-909を持ってきていたが、実際はこの機材を生まれ故郷へ連れて行く貴重な機会として考えていたようだ）。しかし、私たちは全員、今回の取材の真の目的を敏感に感じ取っていた。訪問先が研究所でなければ、会話はまったく異なったものになっていたはずだが、今回はテクノがまったく話題にならない可能性があった。

Moog、Buchala、ARP、Korg、Oberheim、Sequential Circuitsなどのメーカーは、シンセサイザーの最初の黄金期にこの楽器の基礎となり、後世に多大な影響を与えた製品を生み出した。しかし、Rolandの機材、特に80年代のある時期に立て続けに発売された3種類、TB-303、TR-808、TR-909のような、ダンスミュージックの行く末を左右した機材を生み出したメーカーはいなかった（尚、RolandはJupiterシリーズ、Junoシリーズ、System-100、SH-101などの数々の有名なヴィンテージシンセや誰もが知っているコンパクトエフェクターBOSSシリーズ、テープディレイRE-201、そしてTR-606、TR-707、TR-727なども発売しており、それぞれに固定ファンがついている）。Rolandは元々電子オルガンなどの製造・販売を行っていた企業だが、前身のエース電子工業時代のRhythm Aceシリーズなどを含む初期ドラムマシン群は楽器として考えられておらず、ミュージシャンの穴を埋める代替品として考えられていた。これは1980年に発売されたTR-808、1982年に発売されたTB-303も同様で、元々はギタリストやピアニストのスタジオ練習用・作曲用の機材として発売された（初期ポスターには、ミキシングデスクの上に808を置いてギターを弾いているJimmy Pageや、303と606が上に置かれたエレキピアノを弾いているOscar Petersonが起用されている）。そして、両機共に実際にミュージシャンが奏でる音色とはかなり異なっていたため、Roland側はこれらがスタジオの外で使用されることはまずないだろうと考えていた。

しかし、そのリアルさに欠けるサウンドがこれらの機材を不朽の名機にした。808のような太いキックや、1984年に発売された909のライドのようなシャープなシンバルはそれまで誰も聴いたことがなく、303も非常に独特で、エンドレスなベースループが生み出せ、またそのサウンドはワイルドで歪んだリードに変化させることができた。ミュージシャンの演奏の代替品という目的で考えれば、1982年に発売された、よりリアルでフレキシブルなLinnDrumの方が優れていたが、Rolandの機材は非常にユニークで、しかもリーズナブルな価格（少なくとも中古市場に出回る前は）だったため、いわゆる一般的なスタジオミュージシャンではない、実験的なアプローチを好むミュージシャンたちに魅力的に映った。ただの電子制御されたセッションプレイヤーではなく、独自のキャラクターを持っていたこれらの機材は、まるで宇宙から来たような存在となり、これらの機材は独自の音楽性を持ち込むことになった。Jesse Saundersの“On and On”やPhutureの“Acid Tracks”がシカゴで生まれる数年前の1982年、ボリウッド系ミュージシャンCharanjit Singhが303、808、Jupiter 8を使用したアルバム『Synthesizing: Ten Ragas To A Disco Beat』をリリースしているが、音楽自体のルーツは別だったものの、そのサウンドは間違いなくアシッドだった。Rolandのこれらの機材群は音楽ジャンルに関係なく、その独自のサウンドしか生み出せなかった。

1984年、Rolandは303と808の製造を中止し、85年までには909の製造も中止した。これらの製品、特に808は当時もそれなりに人気があったが、本格的に人気が出始めたのは、製造中止になってからだった。しかし、どれだけ多くのラッパーたちが808を引き合いにだそうとも、どれだけ勢いよく303のアシッドサウンドを用いた楽曲がUKのシングルチャートを駆け上がろうとも、そしてどれだけ多くのJeff Millsを始めとするハードテクノ系アーティストたちが909を称賛しようとも、Rolandはこれらの機材の本格的な復活は試みなかった。90年代半ばにはこれらの機材のサウンドとワークフローを取り入れたMC-303を始めとするGrooveboxシリーズが発売されたが、これらはプロミュージシャン向けではなかった。結局、Rolandが往年の名機であるベースラインシンセとドラムマシン群の再発に近い動きを取ったのは、ダンスミュージックに特化したAIRAシリーズが発売されたつい昨年のことで、これによってRolandは自社史上最も重要な遺産を全面的に肯定することになった。エレクトロニック・ミュージックのファン、そして一般的なポップミュージックのファンにとっても、彼らが今回取った行動は一見しただけでは理解できない。そしてそれが今回Rolandからの招待に私が胸を高鳴らせた大きな理由のひとつだった。何故ここまで長い時間がかかったのかを知りたかったのだ。

「Rolandとしては、テクノという方向よりも、全般的な音楽制作の方向に進んでいました」Roland勤続33年目のベテラン開発者、星合厚氏は説明する。取材当日に話をさせてもらったエンジニアの中で、彼だけがかつてRolandのエンジニアの制服だった黒とピンクのストライプが胸に施された腰までの長さのジャケットを着ていた。彼がRolandで最初に携わったプロジェクトが909だった。研究所内の日光が差し込む広い応接室で出会った彼は、Paisteのシンバルをスタンドに立てた状態で持ち込んでいた。これは彼の個人所有のシンバルで、909の開発中にシンバルのサウンドが上手くいかないという問題が発生した時にサンプリングソースとして持ち込んだものだ。星合氏はこの機材群の高い人気を一歩引いたところから冷静に見つつも、嬉しく感じているのだが、これらが発売後にもたらしてきたインパクトの大きさについては未だに完全には把握できていない。「昔自分がシンバルを叩いてサンプリングした音を皆さんが使っているということは、私たちと共演していることになります。世界中の様々なミュージシャンと共演できていることはすごく幸せなのですが、だからといって（そのサウンドを）使った曲を聴いているかというと」まで言うと彼は笑って続けた。「実は聴いていないんですよね」

私は星合氏にお気に入りのシカゴハウスのレコードを訊ねるつもりでいたが、すぐにその質問をリストから削除した。808のような機材が星合氏、そしてRolandにとって重要な理由は、音楽を進化させたからではなく、機材そのものが斬新だったからだ。「当時はプログラミングできるリズムマシンがなかったので、非常に革新的でした」こう説明する星合氏だが、自ら手がけた909に関してはそこまで特別視していないように思えた。909は彼が言うところの「ドンツクドンツクみたいなビート」が打ち込めるドラムマシンの数が突如として市場に増え始めた頃に発売されたドラムマシンだった。「当時は他のメーカーが（同じような製品を）発売したり、PCMが登場したりして、競争になっていきました。ですので、ニーズはありましたが、808が発売された時ほどのインパクトは909の時にはありませんでした」。909のシャープなシンバルのサンプルは重要なサウンドのひとつとして認識されることになったが、それは時間と予算と美学的な制限が生み出した結果であり、Rolandにとって真の成功を意味する、技術的な進歩の結果ではなかった。

私たちが応接室からAIRAの開発チームに会うべく、スタジオコントロールルームへ向かうと、AIRAシリーズのマネージャー久保和広氏、エフェクト仕様設計担当の田原大地氏、そして筐体の初稿デザインやユーザーインターフェイスデザイン、サウンドデザインなど複数の業務を担当する西健一郎氏の3人が待っていた。勤続20年のベテランとは思えないほど若く見える西氏は、3人の中でダンスミュージックにプライベートも含め最も深く関わっている人物だ。「もともとTB-303が好きでRolandに入ったんです」笑いながらこう語る彼は、昔からファンだという、90年代のアシッドユニットHardfloorのサイン入りの303を見せてくれた。コントロールルームではすべてのAIRAシリーズが中央に置かれており、西氏が派手目で鋭いサウンドのテクノのジャムセッションを始め、Funktion-Oneのモニターから耳をつんざくようなヴォリュームでサウンドが放出された。黒と蛍光グリーンのカラーリングが施されているAIRAシリーズは、往年のクラシック機材群とはルックスが異なっている。808と909を模したドラムマシンTR-8は、赤、オレンジ、黄色、白のボタンが配置されており、ルックスはオリジナルに似ていたが、サウンドはオリジナルよりクリーンな印象だった。私は今回の取材に備え、細かい部分に焦点を当てて両機のサウンドの比較を行っている映像を大量に視聴していたが、極端にラウドなPAシステムを通して聴くと、その違いを見出すのは難しかった。今回聴いたAIRAのサウンドは太く、アナログ然としていた。

しかし、これらはアナログ機材ではない。「過去のものをもう1回作るっていうことは基本的にはやらないんです」当日私たちをホストとして案内役を買って出てくれたRoland RGPカンパニー所属の高見眞介氏は強調する。「30年以上もダンスミュージックでTRやTBの音が使われていることには何か意味があるだろうという点をも再考しました。ですが、なぜ選ばれ続けているのかというところまでは分からなかったので、だったら完全に分解して、中の情報を取り出してやろうと。私たちはこれをACBテクノロジーと呼んでいます。アナログパーツの特性をひとつずつモデリングして、実際のTR-808などがどう動いていたのか、TBがどう動いていたのかをモデリングしていきました」

「ACB」はAnalog Circuit Behaviorの略で、Roland独自のモデリング技術だ。簡単に言えば、このモデリングは、複雑なデジタル信号処理によってアナログのシグナルパスをステップごとにデジタルで再現する手法と言える。ドラムマシンTR-8、ベースラインシンセTB-3、シンセサイザーSYSTEM-1、ボイスエフェクターVT-3、そしてシーケンス・同期・エフェクト機能が搭載されたミキサーMX-1という現行のAIRAシリーズはすべてデジタルだが、内蔵されている303、808、909のサウンドはサンプルベースではなく、オリジナルがどのように機能していたのかをかなり深くまで掘り下げて再現されたものだ（星合氏は「PCMとモデリングの違いは、ツマミをグリグリ動かした時の音の変化の仕方ですね」と表現している）。そしてRolandが望むDSP演算が可能なCPUも、許容できる価格帯で組み込めた。このテクノロジーと手頃な価格が上手く交わったことが、 JoMox XBASE999やxOxbOxに代表される無数の303クローンなど数々の他の機材が既に成し遂げていた、そしてRolandの意向とは違う「クラシックのただのリメイク製品」とは異なった、「新しいプロ向けのダンスミュージック用機材」を開発する自信をRolandに与えた。「もっと違う音にして、次の世代の音を作りたいという思いの方が強いですね」星合氏は言う。「アナログ回路で作ってしまうと、回路そのものを作り替えないと違う音になりません。ですが、デジタルならば、プログラムを入れ替えるだけでどんどん進化できるわけです」

デジタルへの移行は、製品に十分な「目新しさ」を与える以外にも数多くのアドバンテージを与えた。サウンドは無限に変化させることが可能で、発売後もメーカー側からのアップデートが可能で、各機材は複数のシンセやドラムマシンの役割を果たせるようになった。ユーザーもACBテクノロジーを使用したサウンドをサンプルベースのサウンドよりもフレキシブルに変化させることが可能になった。そしてサウンド自体もアナログで完全再現したサウンドよりもよっぽど「らしく」聴こえる。何故なら、アナログ回路は経年劣化するため、古い機材から回路をコピーしてもそのままのサウンドにならない可能性が高いからだ。また、このようなアナログ機材は当時の製造過程が原因で、予想外のサウンドを生み出す時もあった。「物が違いますから、サウンドも違います」星合氏がAIRAについて説明する。「（クラシックなアナログ機材と比べて）全く同じにはなりません。元のアナログ機材も1台1台音が違いますし」

高見氏はAIRAについて、集学的なプロジェクトであると同時に、効率性を求めたプロジェクトでもあると説明した。「成長戦略プロジェクトという、社内で何か新しいことを始めるプロジェクトがあったのですが、2012年の9月から3ヶ月間限定でチームを組みまして。その中で様々なアイディアが出てきました。それまではドラム開発だったらドラムを作る、ピアノ開発だったらピアノを作る、BOSSのギター関連ならギター関連だけを作るという括りでしたが、それらを全部合わせました。その中でGrooveboxシリーズとは違う形の、ダンスミュージックにおいて重要な楽器を作ろうという企画が出まして、その企画が通ったのです」。そしてチームは現在の市場のニーズに合わせて強化をしていった。久保氏が続ける。「それこそAIRAと似たようなハードウェアだけではなく、ソフトウェアと連携するコントローラーなど、そういうところから全部集めていきました」。こうしてAIRAの具体的な製品化の準備が進められていき、翌年1月にこのプロジェクトにゴーサインが出されると、その更に1年後にはイメージ画像がメディアで報じられるようになった。

そこから更に1年間をかけ、AIRAはデジタル面でもハード面でも進化を遂げた。SYSTEM-1は当初完全に新しいシンセエンジンが積み込まれて発売されたが、現在はACBテクノロジーを使用したSH-101、SH-2、PROMARSがロード可能になっており、TR-8にも707と727が追加された（オリジナルの音源がPCMのため、ACBテクノロジーではなくオリジナルのPCM波形が使用されている。ただし、DAコンバーターでの低ビットレートの代替として組み込まれているアナログディケイ、分解能はACBテクノロジーで再現されている）。またデモ機を受け取ったアーティストたちからミキサーの開発のリクエストを大量に受け取ったRolandは、ケーブルの散乱が回避できるUSB経由で各機材のオーディオと同期信号を取り出せる専用の規格AIRA LINKの開発にも着手した。ここで私はRolandにAIRAシリーズが今後拡張される可能性があるのかを訊ねたが、高見氏は、可能性はあるとしながらも、具体的な発言に関しては丁重に断り、私はエンジニアへのインタビューで良くある壁に当たることになった。

田原大地、西健一郎、星合厚、久保和広

前述した私を浜松まで向かわせた疑問の答えを言うと、Rolandは別にもたついていたわけでは無かった。彼らは古いアイディアに新しい何かを加えられるようになるまでは開発に着手しないと決めていたのだ。ハウスやテクノを大量に聴けば、彼らのクラシック機材が何故重要なのかが暗黙のうちに理解できるようになるだろう。しかし、新製品と共に前進しようとしている企業である彼らは、それを解体し、複雑な内部を分析し、それが実際に何なのかを理解しようとする。今回出会ったエンジニアたちはこぞってこの部分について話していたが、私が彼らの言葉をしっかりと理解できたのは、Rolandの所有する機材の数々を見た時だった。Ace Toneのオルガンから知名度の低い謎のデジタルレコーディング機材、無数のBOSSのコンパクトエフェクター類、Juno及びJupiterシリーズまでに至るRolandが開発したほとんどすべての機材が、研究所が誇る、人が羨むような水辺の風景が楽しめるように大きな窓がつけられた広い部屋に並べられていた。ドラムマシン群と303をすぐに見つけた私は、その後、何かで読んだことがあるだけの珍しい機材に足を何度も止めることになりつつも、最終的にそのクラシックの機材群が置かれている部屋の後方に辿り着いた。通路の向こう側にはAIRAシリーズがまるで真面目な生徒のように、これらの方を向いて置かれていた。私たちにとってこれらのクラシック機材は、ある意味完ぺきな存在であり、ジャンルを決定づけるサウンド、リズム、テクスチャの源であり、音楽制作そのものと呼べる存在だが、Rolandにとっては、これらが登場する以前から始まり、そしてその後にも続いていく、進化の一部でしかないのだ。私はその部屋がまだ半分しか埋まっていないことに気付かずにはいられなかった。