66歳のウクライナ人ピアニストLubomyr Melnykは、過去40年間、自身の音楽を世の中に認めてもらおうと努力しては、失敗し続けてきた。その間、彼は世界最速のピアノ奏者になっていた。1968年以降、彼は「continuous music（連続音楽／持続奏法）」という独自の演奏法を開発してきたが、その技術は最近になってようやくエクスペリメンタル・ミュージック界隈で評価されるようになった。Melnykは平均で1秒に12〜14音をそれぞれの手で奏でることができ、その技術を駆使し、メロディーの中核へと深く進んで行く冒険のような、濃密な1時間のコンサートを披露する。

Melnykは飢えに耐えながらもこの革新的なピアノ奏法を編み出したが、クラシック界には見向きもされなかった。結果、何十年も蚊帳の外で過ごし、彼の怒りは募り続けた。「何年も絶望を抱えて生きていた」と、11月のとある晴れた日の午後、東京のRed Bull Music Academyのスタジオ内でMelnykは教えてくれた。「クラシック界は私の音楽を好まなかった。人間が犬笛を聞くことができないように、クラシック界は私の音楽を聴こうとも、理解しようともしてくれなかった。何年もとても悲しい日々を過ごしたよ」

彼の"Windmills"や"Pockets Of Light"といった壮大な楽曲では、脳が処理しきれない程の速度で音が駆け巡る。彼の音楽はAutechre、Battlesや65Daysofstaticなど、果てしなく複雑な音の洪水で聴く者の意識を瞑想の彼方へと連れて行ってしまう類のアーティストを彷彿させるが、Melnykの音楽が今になってようやく知られるようになったのは何故なのか？そしてなぜ彼の荘厳な音楽は2015年でも新鮮に聞こえるのか？そういった質問に答えるために、彼の苦悶の旅の始まりである、60年代後半へと時を遡ろう。

「私どもアンビエントの作曲家たちは1968年と1969年に多大な恩恵を受けている」と、インタビューを受けているこの瞬間を存分に楽しんでいる様子のMelnykは言った。「そしてColumbia Recordsに感謝しなくてはいけない。Terry Rileyの『In C』をリリースしたからだ。このアルバムは多くの人々にかなりの衝撃を与えた。このアルバムの影響下に生まれ育ったあなたには、この時の衝撃は想像もできないだろう」

『In C』は渦巻くミニマル音楽の嵐のように世を席巻し、Melnykは完全に信者と化した。それまでパリでヒッピーとして質素な生活を送り、哲学とLSDを楽しんでいた彼に、『In C』は新しい道を啓示した。「連続音楽を思い描くに至ったきっかけは、『In C』だったんだ！あのアルバムがあったからSteve ReichやPhilip Glassといった人達も出てきた。我々の心、我々の魂に共鳴し、ミュージシャンの間で一種の連鎖反応を引き起こしたんだ」

だがReichと違い、Melnykは自身の描いた作品を20人のミュージシャンに演奏してもらうことは出来なかった。当時彼は無一文であり、空腹を満たすこともやっとの日々を送っていた。しかしピアノに触れる機会はあり、彼はTerry Rileyの音楽と、過去に学んだクラシック音楽の理論を組み合わせてピアノを演奏した。

そしてこの時を境に、努力の日々が始まった。Melnykは、連続音楽を生み出す上で習得する必要のあったスキルが2つあったと指摘し、それを2年間で開発したのだと言う。まずは、1時間のリサイタルだとしたら10万近い音符数になってしまう曲を作曲し、それを暗記する知的技能。そして、最長で45分もある作品を演奏し続ける身体的技能。この技術の習得は彼に何らかの影響を及ぼしたようだ。Melnykは話をしている間、無意識のうちによく手の甲の腱をさすっていた。

作曲、そして演奏している瞬間の自身の状態を、彼は拳法の達人で例えた。「特異な精神状態なのかと訊くなら、答えはノーだ。むしろ、特異な身体状態だ。カンフーの達人は、自身の身体が身体でなくなるから信じられない動きをやってのけるんだ。達人の身体はまるで透明に光るエネルギーの塊のようになり、それを巧みに操っているだけなんだ」。そして彼は他に影響を受けた人物を挙げた。「Jimi Hendrixがギターを演奏するのを見ると、同じことを感じる」と彼は断言する。「彼もカンフーの師匠と同じ領域にいたんだ」

「そしてJohn McLaughlinやRavi Shankarといった人達の音楽に出会って、ミュージシャンシップに関する様々な哲学に触れたんだ。彼らの音楽の複雑さに惹かれ、細かく音が詰め込まれている拍を彼らの脳は正確に刻んでいることに驚愕し、彼らに出来るなら私にも出来るかもしれないと思ったんだ」

Melnykはパリでとても貧乏な暮らしを送り、餓死と隣り合わせの毎日を過ごした。明け方、廃棄された野菜をあさりに街をよく徘徊していたと彼は明かした。ピアノ演奏は、あるいは、この飢えから逃れる手段だったのだろうか？「そうだね。奇妙なことだよ。まるで神様が、私が生き続けられる最低限の食べ物を用意してくれたようだった。ご存知の通り、人間は食べるほど、眠る。当時の私の身体は、瞑想に近い精神状態を引き起こしやすくなっており、そのため身体の仕組みが変化していくのを感じていた。これはこの技術を習得する上で重要なことだったんだ。これほど飢えを耐えていなかったらきっとこのような精神状態には陥らなかった。あまりの空腹で、夕焼けを眺めながら幻覚を見ていたときもあったよ」

更に、Melnykが大学で哲学を学んでいたことも連続音楽の土台になっている。P.D. Ouspenskyという、1880年代のロシアの神秘哲学者のイデオロギーが彼の世界観を形成したと言う。MelnykはOuspenskyから、より偉大なる存在意義と実在感へと哲学的に到達する方法を学んだ。これは、彼のパズルを完成させる重要な最後のピースであった。「私の人生にパリがなくて、飢えがなくて、ヒッピーがなくて、哲学がなかったら、連続音楽が生まれる土壌が無かっただろう」

しかし、Melnykの類い稀な創作を世の中は受け入れなかった。連続音楽に対する業界の反応の例として、1974年のオンタリオ州キングストンでの出来事を語るときの彼は、悲しそうだ。「これは不思議なことだよ」と、諦めきったトーンで彼は言った。「メディアで取り上げられた最初と2回目の話をしよう。最初、とある教授が私の演奏を聞き、素晴らしいことを書いてくれたんだ。“まるでピアノは最初からこう鳴るために作られた楽器のようであった”と。55歳の彼は古典主義者だったが、私がやっていることの繊細さ、複雑さを理解してくれたんだ」

「その後、私はどこかでコンサートをやった。そして2つめのレビューが出版された。“この馬鹿者をステージに上げたのは誰だ？”だとか、“Melnykの音楽はつまらないどころか、苦痛だ”、そして“皆さん。この男のコンサートには足を運ばないように”などと書かれていた。そしてこの2つめのレビューが、残念ながら世間に広まってしまった」

こういった酷評を受けたMelnykは業界から払いのけられ、闇に葬られた。彼は1968年に革命を起こすことを想い描いた。だが彼の音楽に耳を傾ける人々が現れたのは、2012年に『Corollaries』というアルバムをErased Tapesからリリースしてからであったと、彼は言う。

「そうなんだよ！」と彼は笑う。「これまでなぜ私の音楽を聴いたことがないのか、人は不思議がるんだ。闇に隠れていたからさ。1974年から1985年の間にコンサートをやったことはあったが、客席にはせいぜい20人程度だった。1985年から2012年までは、ほぼ何もなかった。クラシック界に対しては深い怒りを抱いていた。私の音楽はクラシック音楽の正真正銘の進化型だと感じた。とても高度な技術を要する複雑な演奏法なんだ。なにが気に食わないんだろうか？」

Melnykはどうやら、モダン・クラシックとミニマル・アヴァンギャルドの隙間にちょうど収まってしまい、誰も関心をもたなかったようだ。45分間の"Windmills"など、あまりに高速で音が流れる楽曲は、より空間的で美麗なピアノ作品と比べると、時に不調和にさえ聞こえてしまう。しかしミニマリズムは荒削りのほうがベストな効果を生むことが多い。彼のスタイルは身体的技術や、持久力、そして音のヴィジョンといった点で目覚ましい偉業を達成している。そのことに世の中が気づくまで、彼は忍耐強く待つしかなかったのだ。

現在、彼のコンサートに主に足を運んでいるのが若い世代の、主にエレクトロニック・ミュージック界隈の人である事実に、Melnykは驚きを隠せない。現に我々は、モダンなシーンで愛用されるモジュラー・シンセやコントローラーで溢れるRed Bull Music Academyでインタビューを行っている。

連続音楽を絶賛したミュージシャン、Peter Broderickとケルンで出会ったことをきっかけに、Melnykはようやく長年望んでいた注目を浴びるようになった。元EfterklangのメンバーでもあるBroderickと出会ったことで、彼はモダン・クラシックのダンス・プロデューサー、Hauschkaと繋がり、その後Erased TapesのRobert Rathsと知り合った。Rathsは自身のレーベルにMelnykの音楽がフィットすると考え、『Corollaries』をリリースする話が生まれた。

今ではMelnykは大人気のNils Frahmや、Kiasmos名義でモダン・ピアノを再定義するアイスランドのOlafur Arnualdsとレーベルメイトである。失われた時代の音であり、かつ未来的にも響くMelnykの音楽はようやく視野の広い世代のミュージシャンに受け入れられたが、彼の旅はまだまだ続く。「これが出来るピアニストが、世界で私のみであるという事実が、日に日に重たくのしかかっている」と彼は言う。「それはとても残念なことだ…はっきりさせよう。私は雷に打たれ、ある日突然、連続音楽が演奏できるようになったわけではない。人は私の技術を異常な能力として恐れるが、そんな必要はないんだ。妖精に粉を振りかけられて、“Windmills”が弾けるようになったわけじゃないんだ。突然の出来事ではない。種から芽が出て、成長したんだ。徐々に花が咲くように開花したことだ。あなたにだってこれはできる。挑戦すればいいだけのことなんだ」