1985年。15歳の室田隆義少年は、家にあったステレオ・システムで2つのカセットが同時に再生できることに気がつき、興奮した。「スピーカーと、カセットテープのデッキが2つ、そしてその上にレコードプレイヤーがついてる家庭用のコンポがあったんですよ。で、カセットの再生ボタンを両方同時に押したら、音が混ざって聞こえて」。室田少年は、それをもう一台のラジカセに繋げ、好きな女の子のために人生初のミックステープを制作したのだと言う。

それから30年の月日が経過し、室田隆義氏は今や日本が誇る類い稀なDJ、MC、プロデューサー、そしてレコード・ディガーのMuroとして知られ、多方面から多大なる信頼とリスペクトを集めている。レコードを掘り、曲を繋ぎ、人に聴かせ、空間を彩る、という行為を30年やってきたMuroは、その月日の流れをどう感じているのか。「早いですね、やっぱり。ひとつのことに没頭していると、一年て早く感じるじゃないですか？もう、ただその積み重ねなんで」。迷彩柄の上下にニット帽という出で立ちでインタビューに現れた氏は、柔らかい物腰で、優しく語る。日本の数々のヒップホップ・アーティストが師と仰ぐ、ジャパニーズ・ヒップホップの開拓者であり、ファンク／レアグルーヴDJが羨望の眼差しを送る、世界でも指折りのヴァイナル掘り師であり、Bボーイ魂溢れるオリジナル・ブランドを手がけるデザイナー／ファッション・リーダーでもあるカリスマ、Muroは、実際に話をしてみると、無邪気としか形容できない音楽とレコード・カルチャーへの偏愛と情熱に溢れた、童心のまま大人になった方だということが、言葉ひとつひとつからひしひしと伝わってくる。ローラーディスコに通い、そこでかかっていたブラックミュージックに魅了され、貸しレコード屋から借りたレコードをカセットに録音し、カセットプレイヤーでDJの真似事をしていたときと、ヒップホップやファンク、ディスコの 7インチ盤の怒濤の2枚使いでフロアを爆発的に沸かせている今と、おそらく根本は何ら変わっていないのだろう。

しかし、やはり氏を取り巻く環境は大幅に変わってきた。プロとしてDJ活動を開始した80年代後半から2015年現在までの間に、音楽の楽しみ方、作られ方や売り出し方などが、目まぐるしい速度で変化を遂げて来た。DJシーンにおいては、主流がパソコンになってから全が変わってしまったと、少々寂しそうに氏は語る。「PCになってからは、モデルさんとか、わりと誰でもDJができるようになってしまって。80年代や90年代の頃とはやっぱり別ものだなぁって凄く感じますね」。最近のクラブの音響設備はデジタルDJ向けに設定してあり、アナログだといまいち気持ち良くプレイできない場所が多くなっている、といったことをMuroはここ数年、様々なインタビューで語っていた。そのことについて訊くと、地方には良いハコがまだ沢山残っていると教えてくれた。「最近は特にバーが魅力的に感じますね。行く先々に地元のソウルバーみたいなのがあって、音響もしっかりしていて。もうソウルバー・ツアーでもやろうかなって考えたりしてます（笑）」

Muroは80年代後半に、同じく日本が誇るヒップホップ・パイオニアであるDJ KrushとKrush Posseというグループを結成し、まだ発芽したてであった日本のヒップホップ・シーンにとてつもない影響を及ぼした。90年代に入ると、DJ Krushはインストゥルメンタル・ヒップホップの可能性を追究するためソロアーティストに転身し、MuroはTwigyらとのグループ、Microphone Pager名義やソロ名義でラッパー／プロデューサーとして作品をリリースしていった。英語のようになめらかにラップするフロウや、ソウル／ファンクをサンプリングしたダイナミックなビートメイクで、ニューヨークの空気感を日本語ラップ・シーンに持ち込み、90年代〜2000年代の日本のヒップホップのスタイルやサウンドの発展に大きく貢献した。しかしラッパー、そしてプロデューサーとして重要作品を発表しただけでなく、Muroは90年代から数々のミックステープを発表するようになり、DJとしても早くから日本のヒップホップ文化に衝撃を与えてきた。

DJプレイやミックステープ作りにおいて、特に影響を受けたのはやはりヒップホップの聖地、ニューヨークのDJ達であったと氏は語る。「93年にニューヨークに行き始めたんですけど、その頃、向こうのDJはあちこちでミックステープを売ってたんですよ。地下鉄の入り口とか。一週間に一回新しいのが出てたりして。Ron Gとか、Brucie Bのテープはアップタウンでしか買えないとか、Black MoonのEvil Deeのテープはブルックリンに行かないと買えないとか。だからニューヨークをあちこち回って、色んな人のミックスを買って勉強するのが大好きでした。Kid Capriとか、Biz Markieとかのテープは当時から日本にちょっと入って来ていて、わりと手に入り易かったから良く聴いてましたね。あと当時の『Yo! MTV Raps』とか『Rap City』とかの番組をビデオにダビングして売ってるところが渋谷にあって。ライブを隠し撮りしたブートレグのビデオとか。そういうビデオを買うと、向こうのレコード屋さんとかでKid CapriがDJしてる映像とか入ってて、興奮しましたね。Capriはイタリア系の人なんですけど、ああやって本場で活躍してるのが凄く格好良くて。だからCapriは昔から僕の英雄ですね」

Muroが初めてリリースしたミックステープであり、ニックネームにもなるほど氏の代名詞となっている『King of Diggin’』は、新譜ミックスが主流の当時としては斬新な、ヒップホップ曲の元ネタばかりを集めたテープであった。Kid CapriなどがJackson 5やJames Brownを繋いだオールドスクール・ミックスを出していたが、ヒップホップの文脈でレアグルーヴやジャズなど濃いサウンドをごちゃ混ぜにしたものは、その頃珍しかったのである。もちろん、今のようにインターネットで簡単にサンプリングの元ネタを調べることができなかった時代であったため、ラップの人気曲の元ネタでミックスを作るということは、レコード箱を指が黒くなるまで掘り漁り、相当な音楽の知識を蓄積している必要があった。「No Compilation, No Bootleg」と、オリジナル盤しか使用していないことをジャケットで高らかに宣伝し、素晴らしい選曲センスとテクニックで紡いだMuroのミックスは、国内のみならずUSなど海外でも注目され、ニューヨークのレコード店Fat Beatsでは、アメリカのマーケット向けに『King of Diggin’』テープをプレス、流通したほどであった。

その後も、元ネタミックスを『King of Diggin’』シリーズとしてリリースしていくが、更に、爽やかな曲を集めた夏のミックス『Diggin’ Ice』や、ホットな楽曲を集めた冬のミックス『Diggin’ Heat』シリーズ、特定のジャンルに焦点を絞った『Super Breaks』シリーズなど、様々なシリーズが登場していく。90年代から現在まで、Muroは明確なコンセプトがあり、なおかつバラエティに富んだ数々のミックスをテープやCDでリリースしており、ミックスというフォーマットの無限大の可能性を提示し、国内外のDJにインスピレーションを与え続けて来た。ネット上で気軽に無料でミックスが聴けてしまう今日でも、毎年コンスタントに様々なミックスCDを発表することができている数少ないDJであることからも、その献身的なディグ精神と信頼できる審美眼に根強いファンが多いことが解る。（筆者が数えてみたところ、2015年にリリースされたミックス作品は15枚にも及んでいた）

そして、今でこそ7インチのみのプレイに拘るヒップホップ／ファンク／レアグルーヴのDJは増えているが、Muroが最初に7インチでDJをすることに可能性を感じたのは、90年代前半のこと。まだレゲエのセレクターぐらいしか7インチをかけていなかった時代であった。「渋谷にCaveっていうクラブがあって、そこでMaki & Taikiとヒップホップのイベントをやらせてもらってたんですよ。海外に行くと、安いから7インチ盤を買ってたんですけど、あるとき7インチだけでDJをやってみようと思いついて。2列にレコードが入る大きさの木の箱があって、それを自分でリメイクして、それに7インチを入れて持って行って1時間半ぐらいDJしてみたら、凄く達成感があったんですね。これ、面白いなって思って。当時、ヒップホップのハコで昔の曲をかける人っていなかったんですよね。そういう所で7インチでJackson 5とかJames Brownをかけたのは、僕が先だったんだろうなって思いますね」

誰もやっていないことをやる、というのは言うは易く、行うは難しだが、それを幾度となくやってのけてきたのがMuroであり、これだけ長いことトップに君臨し続けている秘訣もそこにあると言えるだろう。そういった姿勢は、子供の頃からあったようだ。「ひねくれた子供でしたね。人と同じがホント嫌で。従兄弟とか友達と食事しに行っても、僕が“カレーにしよっかな”って言って、他の子が“あ、じゃあ僕もカレー”ってなったら、“じゃあ、やめよっかな”みたいな（笑）。そういうことばかり言ってるような子でしたね」。独自の道を切り開くことの重要性は、DJ Krushからも常々教わっていたことであった。「Krushには“人と同じことをやっていてもしょうがない”って常に言われていて。だから初めの頃から、人と違うことをやろうって考えてましたね。人が聴いていない所を掘ったり、人が行ってないレコード屋さんに行ったりして、新しいものを見つけて。それは今も変わらないですね」

「僕の場合、クラブ・プレイだけじゃなくてプロダクションで使えるような音を見つけるっていうのも、もう習慣になってるんです」。するとMuroは、レコード・ディギングは魚釣りに似ている、という持論を披露した。「DJに釣り好きが多い理由が最近解って来たような気がするんです。中古レコード屋さんの試聴機の隣にレコードを置いて、針を落として、“良いグルーヴが釣れるかな”って聴いていって。そして釣れたグルーヴを今度はどう料理しようかな？って考えて。“これはどこにも使わないで自分だけの宝にしようかな”とか。ここ10年ぐらいは特に、ずっとそうやって釣りばかりしてます（笑）」

「Keep On Diggin’ 365 Days」というメッセージをMuroはミックス作品のジャケットにプリントしているが、一年中、埃に埋もれたレコードから珠玉のグルーヴを発見するという音楽考古学を続けているヴァイナル・ジャンキーにとって、近年のレコード人気の再燃はどう映っているのか。「女の子がひとりで買いに来てる光景は、最近結構見ますね。やっぱり買う人は増えて来てるのかなっていう気はします。しかも、HMVとか比較的入り易い所だったらまだ解るんですけど、レコファンとか（笑）結構コアなとこにいたりするんですよね。ここ数年で変わりましたよね。手頃にレコードが聴けるモノが出てるのも大きいと思います。色んなメーカーさんがポータブル・プレイヤーなんかを作り始めたのもきっかけかなって」。そして、Record Store Dayの効果も大きいと評価した。「何月の何日がRecord Store Dayなのかよく解らないぐらい、色々なアイテムが出てますよね。リリースすればいいってもんじゃないけど、レコードとして出ることには意味はあるのかなって。名前の売れたアーティストたちがレコードを作るのは良い見本になってると思うんです」

MuroがDJをしているのを見たことがある人は、氏が回している間ずっと踊ることなく、ブースの前で手元を凝視している人の集団ができているのを、見かけたことがあるだろう。このことを指摘すると、Muroは笑い、困惑の表情を見せた。「なんでなんでしょうかねぇ。結構、昔からそういう人はいるんですよね」。もちろん、理由は簡単。Muroの卓越した技術をこの目で見届けたいといった強い願望が、ファンキーなグルーヴに踊りだしたくなる衝動に打ち勝っているから、である。そして、2枚使いやスクラッチなどパフォーマンス性の高いプレイはヒップホップ出身のDJの魅力のひとつであることは間違いない。しかし、客が見ていて楽しめるプレイを心がけていたのは、30代の中盤ぐらいまでだったと氏は言う。「Harlemのレギュラーを辞めたぐらいからはもう意識してないですね。純粋に自分の好きな音をひたすら選曲するっていうほうに比重を置いてます。特にNoriさんとかと一緒にやり始めてからは」

Muroは5年ほど前からDJ Noriと7インチ・オンリーのイベント、Captain Vinylを主催しており、他のイベントでもDJ Noriとのバックトゥーバック・セットで呼ばれることが増えているが、Paradise Garageの洗礼を受け、Larry Levan等と共演を果たしたレジェンドであるDJ Noriからは、DJの精神などを学んでいると語る。「一曲一曲の重みとか大切さを意識するようになりましたね。Noriさんはリアルタイムでニューヨークのディスコとか、David Mancusoのサウンド・システムの在り方とかを見て来た人だし、一緒にやるとニューヨークの方とDJしてる感覚ですね。場の雰囲気を見ながら、曲を選んでかけていって。曲が終わって、客の拍手の加減で次の曲の入れるタイミングを自分で決める、とか。それまで僕の中にはなかった、真逆の考え方なんですよね」

Muro

音と空間に極限まで拘って設計され、Gilles Petersonもベタ惚れした札幌の名クラブ、Precious Hallに3年前に始めて出演したときも、それまでのDJの価値観が変わるほど重要な体験になったと言う。「David Mancusoの当時の機材がまんま置いてあるんですよ。それに、まずヘッドフォンがない。そして針が髪の毛みたいに細い針で、“それ30万円ぐらいするから気をつけてね”とか言われて（笑）。そして暗いから、針の横に懐中電灯と虫眼鏡が置いてあるんですよ。アルバムのときなんか手が震えながらそーっと置いて。ヘッドフォンがないから頭出しは勘でやるしかなくて。音の立ち上がりとかもロータリーを使って、自分の感覚頼りで。そして音を表す数字が表示されてて、“60〜80の間で一番気持ち良いところ、自分で出してね”みたいなこと言われて。“うわ〜緊張するなぁっ（笑）”って思いましたね。“曲は生き物だから、ずっとその曲に寄り添ってあげて。盛り上がる部分はちょっと上げるとか、自分で調整しながらやってね”みたいなこと言われて。そんなことやったことなかったから、ホントに緊張しましたね。酒が一滴も飲めなかった（笑）。でもそれから凄い気に入ってもらえて、毎年呼ばれているんですよ。12月もクリスマスの後にNoriさんと行きます」

Muroのディグ精神を受け継ぐ人気ヒップホップDJである、DJ Koco a.k.a Shimokitaとも、最近は共演することが多いと氏は話す。「Kocoちゃんは10年ぐらい後輩なんですけど、7インチをかけるようになってからは曲がかぶることがあって、Noriさんともディスコになるとかぶるときがあるんで、僕はその間に立って、ブリッジというか、中間ぐらいのことをやることが最近多いんですよ。それが面白くて。僕は基本、持ってるレコードを全部活かしていきたいなって思ってるんで、色んなイベントで色んなレコードをかけたい。だから色んな人とバックトゥーバックをやるのが好きだし、勉強になりますね。地方に行ったときは、交替のときとかに地方のDJと少しでもバックトゥーバックをやるようにしてます」

2014年には結婚をし、娘も授かったKing。「自分の時間がなくなりましたね。当たり前ですけど。でもその分、集中力がハンパなくて。子供が寝たあとの、8時ぐらいから2時ぐらいまでの時間の集中力ったら。ずっとレコード触ってますね、いままで以上に」。時間がなくなっても、レコードを触ることはなくならないようだ。「朝も早く起きるようになったんで、朝からレコード屋さんに行くようになっちゃいましたね（笑）。オープンと同時に」

レコードを触っていないと禁断症状が出るというMuroは、少年時代に虜になった音楽に人生を捧げてこれまで歩んで来た。そして今後も変わらず、時間さえあったらレコード屋に出向き、箱の中を吟味し、新しいグルーヴを求めて針を落とし続けるのだろう。最後に、いつも後輩のDJに言ってるアドバイスは何か？という質問をすると、1993年にUFOが監修し、Brownswoodからリリースされたコンピレーション『Multidirection』に収録されていた、Muroの永遠のディガー・アンセム"真ッ黒ニナル迄"でラップしていたときと変わらないレコード愛たっぷりに、こう言った。「レコード屋さんに行け、ですね。買うだけじゃなくて、店員さんと話をすることも大事だし、他のDJさんも来るから近況が解ったりする。僕の中では、レコード屋もDJにとって立派な現場ですね」

Muroは、12月18日に東京AIRで開催されるMuro 30 Years and Still Countingに出演します。