日本のアンダーグラウンドなダンスミュージックは“アーティストの音楽性”という視点においては好調と言っていいだろう。DJ Nobuは年を重ねるごとに海外ツアーの回数が増え、ENAやRyo Murakamiは2015年のBerlin Atonalに出演…例を挙げ出したらきりがないが、日本人プロデューサーやDJが世界で注目されているのは間違いのない事実だ。その流れを作ったひとりが本稿の主役、IORIである。2009年、Cio D'OrやDonato Dozzyといった実力派のカタログを擁するPrologueからリリースした『Unknown EP』を発端に、IORIは海外ではもちろん、日本においても先進的なアーティストとして認知された。今やテクノのDJ／プロデューサーとして知られる彼だが、もともとはハウスのDJであり、アンビエントもプレイする幅広いプレイスタイルを持っている。そんなIORIが辿った音楽的なバックグラウンドからアーティストとして活躍する現在を、この記事で深く読み解いていく。

IORIが生まれたのは日本の南端の島、沖縄。幼少期の彼が音楽的な影響を受けたのは10歳年の離れた姉だと言う。最初に音楽に興味を持ったのは姉の部屋にあったMadonnaのレコードだった。その後、彼がダンスミュージックに触れる転機が訪れる。ちょうど彼が12歳の頃のエピソードだ。「姉がDJと付き合っている時期があって、そのときに僕も一緒にいろんな場所に連れ回わされていたんです。回りにいた人たちも幼い僕を面白がってディスコにも入れてくれたり、DJブースにも上げてもらえて。その時期からDJをやってみたいなって思うようになりました」。クラブミュージックがそれほど一般リスナーにまで浸透していない日本において、幼少期からDJカルチャーを直に体験しているというのは、珍しいと言ってもいいだろう。姉の手ほどきで沖縄のダンスミュージック・シーンに触れたIORIは、高校生になると、DJの先輩にミキサーとターンテーブルを貸り、学生時代の三年間をすべて“レコード”に費やす。当時、IORIにとってのスターはNYハウスのレジェンド、Francois Kevorkianだった。「Body & Soulが全盛期だったことと、もともと姉の影響で知り合ったDJの人たちがガラージ系だったことも大きいですね。僕はまだ幼くて見ていないのですが、沖縄に一度、Larry LevanとFrancois Kevorkianが一緒にツアーで来たことがあって。それを体験した姉とまわりのDJたちが、その話をよくしていたこともあり、憧れをもっていました」

Francois Kevorkianのジャンルレスなハウスミュージックは、IORIに直接的な影響を与えた。「彼のおかげでソウルやジャズまで幅広いブラックミュージックを聴くようになれたし、自然とジャンルの分け隔てがなくなった」。IORIが時折見せる奔放なDJスタイルは、このときに培われたのだろう。また、後述するが、KevorkianがプレイしていたBasic ChanneI関連の音源は、その後のIORIがプロデューサーとして邁進するうえでのきっかけにもなる。ハウスDJとしての道を突き進む彼にとって、音楽表現の“多彩さ”、パーティーカルチャーの奥深さを学び取ったのが、David Mancusoとの出会いだ。先述したKevorkianに加えてJoaquin "Joe" Claussell、Danny Krivitが手掛けるBody & Soul、Larry LevanのParadise Garageとともに、ハウスの伝説として語り継がれるパーティーThe Loft。David Mancusoはオーディオ的な視点でこだわり抜いたサウンド・クオリティ、自身の役割を“Musical Host”と称し、ミキシングを重視しない独自な哲学を持ち、パーティーの理想像を追い求めた人物だ。そんなDavid MancusoもLevan、Kevokianに続いて沖縄の地を踏む。DJ修行中の身であった17歳のIORIは、先輩のDJが運営するパーティーのスタッフを手伝い、そこに現れたのがMancusoだった。「2回目に沖縄でDavidに会ったとき、NYへ行きたいって打診したら、『いつでも来い』って」と、Mancusoの言葉を信じて渡米。NYでMancusoとともに暮らしながら一年間、The LOFTの運営を手伝う。

「Davidは気難しいけど優しい人柄。自分のやることに神経質なまでにこだわる姿勢に影響を受けました。例えばレコードの扱い方。彼はプレイヤーからスピーカーまで高級な音響機材を使うからレコードの状態にシビアで、少しでもノイズが入る盤は絶対にプレイしなかった。そんなDavidを見ていてか、僕も自然とレコードに指紋を付けなくなりました。The Loftはずっと同じスタッフが運営しているからファミリー感がとってもあり、親と子供、その孫まで三世代にわたるお客さんもいて。音楽はサイケデリックでディープなものだったりもするけど、子供から大人まであらゆる人が音楽を楽しんでいる。まさにパーティーとしての理想像でした」

帰国後、沖縄に戻ったIORIは、Kevorkian、Mancusoからの影響をたっぷりと吸収し、ハウスを主体にジャンルに囚われないDJをプレイするようになる。ハウスはもちろん、実験的なテクノをかけるパーティーやダブをコンセプトにしたパーティーを手掛けていた。こう書くと、IORIのDJとしての音楽的な趣向の広さが発揮されているかのように見える。だが、それはまだ、現在のIORIが持つテクノのプロデューサーとしての音楽性とは異なるものだった。我々が知る、あのカッティングエッジなテクノサウンドはいかにして生まれたのだろう？　「DJスタイルから先に音楽性が変化したわけではなく、音楽制作がターニングポイントになった」と彼は説明してくれた。

「長年音楽を作りたいと思っていたけど、なかなか本腰が入れられなかった」というIORI。20歳の頃にAkai Professional MPC2000やKORG MS-2000を購入し、制作に挑戦してみるもののMPCにのめり込めなかったため、制作活動を断念していた。それから約6年後、彼にとって改めて音楽制作に向き合う手助けになったのはAbleton Liveだった。Liveの柔軟な操作性も手伝って、ようやくIORIは音楽制作にのめり込む。Liveを軸に据え、6年前から所有していたKORG MS-2000とミキサーを併用しながら作り始めた音楽について「偶然の産物が多かった」と、語るIORI。それまでハウスのDJだった彼が、たまたま制作した音源が偶然にもミニマルなテクノだったのだろうか？　と、改めて彼に問うと、思い出したかのように説明する。

「ハウスに傾倒していたときからBasic Channelのサウンドはずっと好きでした。M-SeriesのレコードはKevokianなどのNYのDJもプレイしていて知っていて。あと、ダブも好きだったから、彼らが手掛けていたWackiesのリイシューのレコードも買っていたので、ベルリンにテクノもレゲエも好きな人がいるんだって。彼らのレコードはA面がレゲエで、B面はミニマルテクノだったりもするじゃないですか。そのB面のサウンドが僕のなかにあったテクノのイメージでした。改めて音楽を作りはじめたときはBasic Channelのサウンドを手本にしながら、リバーブの使い方やキックの音圧の出し方を研究していました」

音楽制作において自分らしいサウンドに辿り着くには、少なからずとも時間がかかるものだ。IORIの場合、長年にわたるDJ経験が、彼のプロデューサーとしての個性を創出する手助けになったのだろう。本人は「何となく作った音楽が何となく、今の僕のスタイルになっていった」と語るが、それにしても“プロデューサー以降”のIORIのストーリーは非常に恵まれたものだった。音楽制作をはじめて間もないIORIは、一ヶ月ほどロンドンに滞在し、レコードショップPhonica Recordによく訪れていた。帰国後に完成させたトラックをMyspaceにアップすると、偶然にもコンタクトを取ってきたのがPhonica Whiteだった。

ここからIORIの快進撃が始まる。2009年にPhonica Whiteからリリースした『Galaxy EP』続き、ミュンヘンを拠点とする名門Prologueからもリリースの打診を受け、同年に『Unknown Places EP』をリリースする。「それまでPrologueのことはまったく知らなかった」というIORIは、Mike ParkerやClaudio P.R.C.、Donato Dozzyといった才気に溢れるレーベルメイトの存在を知り、彼らが作る音楽に刺激を受けていく。Basic Channelから影響を受けたミニマルでダビーなテクノを制作し、Prologueのリリースを経ることで、よりディープでアブストラクトなテクノに興味を持つようになったIORI。音楽制作の上でもっとも影響を受けたのはDonato Dozzyと言う。「曲の構成はシンプルだけどいつも意表を突いてくるし、完成度も抜群に高いですね」。また、DJのスタイルもこれまでのジャンルレスなハウスからテクノへと徐々にシフトし、Marcel DettmannやBen KlockといったBerghain系のアーティストの硬質なテクノにも感化されていった。現在のIORIのDJスタイルはテクノが中心だが、ハウス時代に培ったDJミックスの意識が生きていると言う。

「今思えば、沖縄にいることの情報の少なさが良かったって思います。テクノのDJを真剣にやりはじめたころは、当時好きだったBerghain系だけじゃなくて、ミニマルやクリック系のレコードも混ぜてかけてました。テクノをプレイするようになって“なんだこれ？”っていう発見が多かったですね。例えばPerlonのレコードって最初に聴くと分かりにくいじゃないですか？　何かペコペコしているけど、クラブで鳴らすとカッコイイみたいな。とにかくかけてみようって感じで、楽しくやってました。テクノには歌はないけど、プレイするときの意識はハウスをプレイするときと変えていなくて、オーディエンスの感情を引き出すために、常にドラマチックにプレイしようと意識しています」

テクノとハウスを行き来する独自の感覚はIORIらしさでもあり、その後のDJ Nobuとの邂逅も必然だったのだろう。デトロイトテクノからハウスまで幅広いプレイスタイルを持つDJ NobuとIORIの関係性は、盟友とも呼べるものだが、IORIにとってNobuとの最初の接点はMarcel Dettmannのトラックだったと言う。「MDRの01番のミニマルでハードなダブテクノが個人的に好きだったんですが、Nobuさんもこの曲をDJチャートに入れていたんです」。当時、まだ顔見知り程度だったという二人は、同じ音を求める同士として意気投合。その後、2015年にはNobuが主宰するレーベルBittaより、初のアルバム『Nexus』をリリースする。

Prologueからのリリースを機に海外でのDJブッキングが増えたIORIは、2012年にベルリンへと移住する。「以前にベルリンに行ったときはピンとこなかった」と言うが、今回はブッキング・エージェントとの契約もあったので、「賭けてみたかった」という思いで移住を決意し、ヨーロッパでテクノDJとして経験を重ねる。「とにかくプレイ時間の長さに驚きました。DJもオーディエンスもナイトライフに対するスタミナ感が日本とは全然違うから、とにかく体力つけようって思いました（笑）」

2015年、IORIは活動の場を東京へと移す。そして今年の4月に自身にとって2枚目のアルバム『Cold Radiance』をオランダのField Recordsよりリリースした。前作の『Nexus』は既存曲を多く収録していたため、IORIにとっては「コンセプトから作り上げた新作がファースト・アルバムのようなもの」という位置づけのようだが、『Cold Radiance』はそれだけでなく、彼のキャリアにとって初のアンビエント・アルバムでもある。架空のSF映画のサントラをイメージしたという本作は、Basic Channelにも共通するアブストラクトなテイストから、Prologueなどからのリリースで培ったかディープでアシッドな側面もあり、彼の音楽嗜好を総体したノン・ダンスミュージックに仕上がっている。本作の7～8割はベルリンで制作しており、フィールド・レコーディングした素材をもとにAbleton Liveだけを使って作り上げた。

「ベルリンの街って環境音が面白いんですよ。耳を澄ませるとトラム（路面電車）やいろんな言語の会話が聞こえきて、そこから思いついたアイディアで作品を残したいと思ったことがありました。そのときのアイディアと新作のサウンドのイメージは違いますが、環境音の体験がこのアルバムを作るうえでのきっかけになっていると思います。フラっと街に出かけて録ってきた素材をLiveに取り込み、エフェクトをかけたりテンポをズラしながらノイジーなベース音を作って、リズムを入れたりして加工していきました」

Francois Kevorkian、David Mancusoに感化されてハウスのDJを志し、テクノミュージックの制作をきっかけにプロデューサーとして邁進するようになったIORI。その当時について「ラッキーだった」と謙遜するが、彼は当初からハイクオリティな楽曲を制作していており、『Cold Radiance』を聴けば、IORIが作家性に優れたエレクトロニック・ミュージックのアーティストであることが良く分かってもらえるはずだ。「抽象画のようなアブストラクト感がありながらも、完成度の高いトラックを作りたいと常に思っていますが、ライブ・アーティストよりもDJとして活動したい気持ちもあって。今後、自分がどうなりたいかはそんなに考えていないですね」と、あっさりと語るあたりに、飾らずマイペースに活動してきたIORIの本質が見え隠れしているように感じる。確固たる個性を武器に外世界と対峙していくより、環境に合わせて柔軟に変化を続けてきたIORIのキャリア。それはある意味、絶えず変動するダンスミュージックのシーンとコネクトしていくDJとしてのサヴァイブ感覚があってこそと言えるだろう。東京を拠点に活動するようになった現在の心境については「海外における僕ら日本人アーティストの立ち位置も変化していて、理想的な活動ができるようになってきた」と語る。今後さらに注目を集めるであろう日本のテクノ／エレクトロニック・ミュージック・シーンに対して、「今は電子音楽の自由さに、魅力を感じている」と語るIORI。今後、さらにカッティングエッジなトラックと変幻自在なDJプレイで、私達を魅了してくれるに違いない。