もし、ドイツのテクノ・ヒストリーを概略的にたった数ページの記事に編纂したとしよう。おそらく、そんな短い史書においても彼の名前は外されることはないだろう。Wolfgang Voigt、1990年代初頭から現在に至るまでテクノのシーンの重要人物であることは間違いない。Mike Ink名義など多種多様な名義を使い分け、先ごろ、その代表的な名義となるGASでひさびさの作品となる『Narkopop』をリリースしたばかり、ドイツ第四の都市ケルンを拠点に活躍を続けるベテランだ。ケルンといえば、大聖堂の街、いや音楽ファンにおいては偉大なるクラウト・ロックの巨星、Canを思い浮かべるかもしれない。しかし、テクノ・ファンにとって、その地名を浮かべたときに、あのすっきりとしたKOMPAKTのタイポグラフィーを思い浮かべる人も少なくないだろう。ある意味で、2000年代から現在にいたるまでドイツで最も成功しているテクノ・レーベル / ショップ / ディストリビューターというのは言い過ぎではないだろう。Voigtはまたこのレーベルにおいて、Michael MayerやJürgen Paapeといった面々とともに共同設立者 / 経営者に名を連ねる人物でもある。多忙な彼にメールにていくつかの質問に答えてもらった。

あなたがテクノやハウスに触れて、30年近くのときがたったと思います。こうしたエレクトロニック・ダンス・ミュージックをはじめたとき、30年後もこの音楽をやっていると思いましたか？

もちろん。これは人生をかけた使命だと思ってるからね。

あなたたちが活動をスタートしたばかりの1990年代初頭のケルンのシーンは、ベルリンやフランフルトといった他のテクノの先進的な都市と違った、なにか独自のものはありましたか？

1990年代初頭、テクノはすごい勢いで広まっていった。もちろんそれは他のドイツの都市でも同じだった。ベルリン、フランクフルト、ミュンヘン、そしてケルンといった主要な都市には、どれも独自のサウンドと異なるスタイルがあったんだ。当時、テクノというのは人間にとって初めての「完全に自由で民主的、国際的で、言葉を使わず、様々な”方言”をもって語られる音楽言語だ」という風に認識されていた。だから僕らもケルンの”方言”を加えたんだ。

最初期の作品はUnderground Resistanceの影響が強いと思うのですがいかがでしょうか？ドイツにはそうしたアーティストが多いように思います。

その通りだよ。だけど、デトロイト・テクノのようなサウンドを目指して作っていた訳ではないんだ。当時はみんなそうだったけど、僕も同様、デトロイトテクノみたいなサウンドが好きだった。僕はそこにアシッドっぽいシーケンスを組み合わせ、ドイツ・テクノ的な「シンプルで、愉快で、ロック風」のアグレッシヴなビートを加えたんだ。

ちなみにMike Ink名義はなぜ、英語圏っぽいMikeという名前を使ったのでしょうか？

随分昔のことになるね。特に深い意味はないけど、当時はもっと皮肉をこめた意味の名前だった。Mike Inkという名義を作ったのは1990年で、当時はそういう仮名をつけて自分の人格を隠すのがクールだという風潮だったので、1990年代には毎週のように名義を作っていたよ。1996年にMike Inkが人気になってきた頃、だんだんそれが僕の本名じゃないかと思う人が増えてきたから、この名義を使うのをやめたんだ。

Wolfgang Voigt Gas

1961年生まれのこのプロデューサーは1980年代末にエレクトロニック・ダンス・ミュージックに出会い、以来、1991年のLove Inc.名義の作品を皮切りに、1990年代初頭のDJカルチャーが持っていた匿名性をプレゼンするように、さまざまな名義、作風を使い分け、作品をリリースし続けている。弟のReinhard Voigtや、その他、現在のKOMPAKT経営陣周辺などともに活動していたユニットも含めて、その数はまさに膨大だ。1990年代初頭の中心的な名義はLove Inc.もしくはMike Inkとなるだろう。

アシッド・リヴァイヴァル吹き荒れるなか､大ヒットとなっていたLove Inc.の「R.E.S.P.C.T.」など、その他、初期のMike Ink名義などはUR的なハード・テクノ〜ハード・アシッド路線をForce Inc.などで展開していた。ここまでであればそれこそ当時の爆発的なテクノの広がりのなかで一旗あげたプロデューサーで終わっていたかもしれない。が、その運命を変えたのは1994年、自身のレーベルでProfanを設立、Mike Ink名義から徐々にM:I:5名義へと軸足を変えたあたりだ。決定的だったのは1995年、Profanの傘下に立ち上げたレーベル / 名義 Studio 1であろう。それぞれドイツ語の色の名前と、それに即したミニマルなレーベル・アートが印象的なこのシリーズで展開したサウンドは、M:I:5名義をさらにコンセプチャルに展開したようなサウンドで、極めてミニマルな構造とテクノの質感、そこにハウス・グルーヴを持ち、その後、それこそ現在までに渡る20年にも及ぶドイツのミニマル・ハウスのスタイルを定義してしまったといって過言ではない。時期的にはハード・ミニマルやエレクトロ・ディスコがシーンにて大きな流れとなっていた1990年代後半、前述のBasic ChannelのM-SeriesやMain Street、Voigt兄弟も頻繁にリリースしていたハンブルグのLadmat 2000、もしくはフランクフルトのPlayhouseといったレーベルとともに、2000年代の爆発的な広がりを見せるドイツのディープ・ミニマルや、クリック・ハウス / ミニマル・ハウスの下地を用意したと言ってもいいかもしれない。こうしたレーベルのなかでも、その後の2000年代に、直接の系列レーベルであるKOMPAKTの成功──そのKOMPAKTのすべてがVoigtのセンスというわけではないが──のことを考えれば、やはりシーンへの影響は大きい。

ある意味でBasic Channelと並んで、ドイツのテクノをひとつ発明したアーティストのひとりと言えるだろう。またこの同時期には1996年には、それまでMike InkとしてリリースしていたForce Inc.傘下のMille PlateauxからGAS名義をスタートさせている。

ちなみにProfanは、1998年のKOMPAKT設立（この経緯に関してはRAの特集記事「Kompakt: An oral history」をぜひ参照してほしい）後もVoigt自身のリリースをするレーベルとして現在まで続いている。

Wolfgang Voigt Gas

ケルンという街からは、あなたたちVoigt兄弟やMichael MayerらKOMPAKTクルーといった、ベルリンとはまた違ったミニマル・テクノのサウンドを作り出しました。その理由はどこにあったと思いますか？

はっきりとした理由はないけど、そもそも、ただ「他と違う」だけのスタイルを作ろうと思ったことはないんだ。僕らには僕ら独自のアイデアがあり、それは、僕らがどう感じたかということに起因してる。ケルンのテクノは、ベルリンと比べると軽い感じで、たまにちょっとアート気取りなところもあって、ポップからの影響が強い。それに、もっとユーモラスな感じにするのも、時には有りという感じだね。

KOMPAKTという会社が、他のテクノ・レーベルよりも最も優れているところはあなたかからみてどこだと思いますか？

KOMPAKTが他のレーベルより優れていると思ったことはない。レーベルとは優劣ではなく、テイストの問題だからね。でも、KOMPAKTは、他とは明らかに違ってると思う。大切なポイントのひとつは、この目まぐるしい時代の移り変わりの中でKOMPAKTがまだ存続していて、しかも同じ人間が運営してるところだ。そして、一番大切なのは、合理性や採算性よりも、音楽的・芸術的な自由が僕らにとってなにより一番重要だということ。レーベル全体の経営は、おそらく皆がイメージしているよりも随分シンプルにやっているよ。

30年選手のマイスターであるあなたに聴きたいのですが、エレクトロニック・ミュージックの最も優れているところはどこですか？

エレクトロニック・ミュージックの最も優れているところは、機械が僕のアイデアを現実化するのを手伝ってくれるというころだ。僕の個人的なリリースのポリシーのひとつつに「芸術的な自由度を最大に高める」というのがある。「自分がやりたいと思ったことは、誰の許可がなくてもやることができる」ということだよ。

本名名義などで行なっているプロジェクト、RückverzauberungではGASとも近い感覚のアンビエントもリリースしていますが、「Rückverzauberung（英語でReverse Enchantment）」はあなたの音楽性を端的に示している言葉ではないかと思いますがいかがでしょうか？

ああ、まさにその言葉のようでありたいと願っている。そこを理解してもらえるのは本当に嬉しいよ。Rückverzauberungでは、オーディオファイル（サンプル）を使って、最も自由でアブストラクトな方法で音を作り上げている。僕のイマジネーションは、音楽を純粋な美学としての存在に戻すこと。音楽が、純粋さや本来の意味を失い、言葉で解説されるようなものになり、音楽の歴史として確立されたり、ビジネスとしてリリースされるようになる前の在り方に戻したいんだ。もちろん、いま言ったことは夢物語のようなものだけど、僕はそういう現実を否定したい思いで作っている。

またあなたたテクノを作る上で最も重要視している部分はどこでしょうか？もしくは音楽制作を貫く、哲学、コンセプト、縛りなどはありますか？

哲学、コンセプト、縛り、全てあるね。メインの哲学は「コンセプチャルアーティストとして、僕は一定のルールと制限に従う。音楽が生まれるその時、僕はこのルールと制限を忘れる」。そして、「僕はとても製作の速いプロデューサーだ。必要な時間が少ないほど、結果は良くなる」といったところだね。

GASと本名名義を除くと、その活動の中心はシングルにあるように思えます。古くはStudio 1シリーズ、Kreisel 99シリーズ、また最近ではProtest、Protektなどもコンセプチャルにシングル単位で「あえて」リリースするところに特徴があると思います。やはり、さまざまな可能性の実験の場、またはフットワークの軽さというところシングルに重要性を感じているのでしょうか？シングルでのリリースという部分で他に気に入っている部分、コンセプトがあれば教えてください。

僕はいつでもコンセプチャルな構造の中で考えてるんだ。自分でもどうしてかはわからないんだけど、シリーズとして考え、作っているものは多い。多分、コンセプト全体の精神性とアイデアは1枚のレコードだけではなく、一連のシリーズの中のレコードとレコードの間にあるように感じているからだと思う。もしくは、一種のコレクション癖かもしれない。僕はいつもこれに翻弄されてるからね。そして、ひとつプロジェクトが完了すると、それを忘れるために、すぐに全く違うことをやるようにしている。これこそ、僕にとっての芸術的な自由なんだ。

そういえば昔から気になっていたんですが、Studio 1という名称は、レゲエのCoxsone Doddのレーベルとは関係がありますか？

実は関係ないんだ。Studio 1という名前は1995年につけたんだけど、当時はまだレゲエのレーベルについては全然聞いたことがなかった。

Wolfgang Voigt Gas

Voigtの作品の特徴といえば、やはりミニマルというタームが一発で浮かぶ。サウンドはもちろんだが、さらに加えればそれを具現化したようなパッケージも含めたリリース・コンセプトとも言えるだろう。それはサウンド、そしてコンセプチャル・アートとも言えそうなジャケットのデザイン・フィロソフィーまでをも貫いている。初期のチージーなレイヴ・ヒット的なものを除いて、彼がこれまでかなり膨大なリリースを行なっていても、そのアーティスト像がなかなかずれないのはそのあたりにある。例えばStudio 1のようなシリーズがいい例だが、その他ではミニマルな意匠の7インチを毎週、52枚に渡ってリリースし続けたKreisel 99（99枚までリリースしたかったんでしょうね）、最近では、カフカをテーマにしたKafkatrax、ポルカをテーマにしたPolkatraxなどなど、一貫した美学を感じさせるジャケット・アートまで含めたプロダクションを作り続けている。デザインは簡素ながら、つい先ごろまで展開していたProtestというレーベルのコンセプト「Music for tomorrow. Consistent（一貫した）, idiosyncratic（特異な）, pivotal（極めて重要な）.」は、まさにこうしたVoigtのアーティストとしてのリリース哲学を象徴してるかのようでもある。わりと自由にそのときどきのコンセプトを示している本名名義以外となると、とにかく彼の作品は「連続性」が重要だと思える活動が多い。

彼がキュレーターのひとりを務めるKOMPAKTの名物シリーズ『Pop Ambient』シリーズもこうした強いコンセプトと一貫性といったVoigtのリリースを象徴しているようで、やはりKOMPAKTのレーベルとしての強みは彼のこうしたコンセプチャルな姿勢が影響を与えているように感じるのは自然なことだ。もちろんそれはスタートから20年近く経ち、最新作をリリースしてもそのイメージを変えないGASというプロジェクトにも脈々とそのスタンスは注がれている。

Wolfgang Voigt Gas

先日ニュー・アルバムをリリースしたGASは、その少し前にこれまでの作品をまとめたボックス・セットをリリースしたり、さきほどお話されたように本名名義以外でさまざまな名義のあるあなたにしては特に最も長いあいだ使っている大切な名義の印象があります。かなり特別な意味合いをもっているのではないかと思いますが、GASはあなたにとってどんなプロジェクトなんでしょうか？

GASが特別な理由は3つある。僕の一番個人的なプロジェクトであり、一番シリアスなプロジェクトであり、一番成功したプロジェクトであるから。

GASの新作『Narkopop』は、「Narco Pop」という意味でしょうか？それともまた別の意味があるんでしょうか？　タイトルの意味をお教えください。

名前そのままの意味だよ。ポップな哲学的考察という顕微鏡の下に置かれた、陶酔的で催眠的な音楽と図像という感じだね。

ひさびさにGAS名義で作品をリリースしたのは、昨年リリースしたボックス・セットのリリースと関連がありますか？

そうだね。『Narkopop』は、終わりが無く時を感じさせない素晴らしきオーディオ・ヴィジュアルの旅、というこれまでのGASの在り方を進展させたものだからね。『The GAS Box』には1990年代のGASのカタログ曲の完全ヴァージョン、つまりGASの精神性と魔法の全てが収録されている。『Narkopop』はまさにそこからスタートしていて、これからの未来に広がる森に入っていこうとしているんだ。

いま現在計画している、新たなコンセプトやプロジェクトはありますか？

もちろん、いつでもあるよ。

Wolfgang VoigtはGAS名義で、7月15日〜22日に長野県で開催される野外フェスティバルruralへ出演します。