先月、イギリス・ブライトンでの暖かな火曜日、Lara Rix-Martinと彼女の夫Mike Paradinasは、パティスリーの店内を見て回っていた。娘にマカロンを買うつもりで来たものの、突如「Sweet Desire」と名付けられたリッチなハート型のケーキに目が移ったようだ。Rix-MartinはParadinasと共に黒い服を着ていて、後日、彼女は自分のファッションセンスについて「未来の衣服」と説明してくれたが、そんな装いの彼女がケーキの内容を読み上げている。レモンマドレーヌ、ライチゼリー、ラズベリーババロア、そしてローズクリーム。「時々、こういうものを作ることができる人と結婚したかったなと思う」と彼女は言う。Paradinasはまるで気にしていない様子で、カウンターの横に立っていた。「Mikeって、レシピ通りに作るのはすごく上手、本当に上手でね。でも私はそういうことはあまり得意ではない。なぜかって、それはつまり”ルール”で、あまりにもきっちりしすぎているから」。店を出た我々は、ウェストストリートに続く角で曲がった。昼下がりの道すがら、彼女は話を続ける。「だから、私が料理するときはレシピには従わない。あれをしろ、これをしろって言われるのが好きじゃないから、それでレシピ通りにはしない。本当馬鹿みたい！だけど、とにかく指図されるのが嫌で、そういうものには従えない。従ったところでイライラするだけ」

Rix-MartinのレーベルObjects Limitedは、幾つかの面で従来通りの慣習に抗うもので、それはこれまでにリリースしてきた音楽に限った話ではない。最新のEPは中国のアーティストRui Hoが手がけた、エクスペリメンタルクラブのサウンドに目配せした曲だが、東洋的なメロディスケールとサウンドデザインの持つ柔らかな力が、このスタイル特有の鋭いエッジを和らげている。ベルリン拠点のZiúrは、昨年の佳作 『U Feel Anything?』で開花した、正確でリズムを優先したコラージュにより、エクスペリメンタルクラブの世界に名を残した。また、現在はロンドンのGoldsmiths大学で学んでいるというアーティストVivienneによるLPは、「パンクっぽくもあり、フォークっぽくもある」アコースティックなバラードに、きらめくようなエレクトロニックの手触りを加えた作品集だ。「これは本当に大好き」とRix-Martinは言う。「とても生々しい感じがある。Jana Rushが持ってる生々しさと同じものを感じる」。Jana Rushは昨年、Objects Limitedからリリースされたもう一枚のLP『Pariah』を手がけたシカゴのアーティストだ。これらのどのレコードも挑戦的なほど実験的で、たとえ特定の音楽スタイルに似たものがあるとしても、殆どがそのスタイルの辺境的な部分に属しているものだ。

これらすべてのレコードを総括したときに見えてくる共通項の内のひとつは、Rix-Martinが言うところの「よりダークで、より悲しげな作品」というテイストだ。もう一つの共通項は、女性とノンバイナリーのアーティストが手がけた作品に限られていることだ。この2つを追求していくことで、Rix-Martinには並ならぬ柔軟性がもたらされた。「フットワークをリリースするにあたっては、少し躊躇があった」と、Jana Rushの『Pariah』LPを指して言った。「Mikeが（Planet Muから）フットワークをリリースしたとき、誰もが”フットワークのレーベルだ”と言っていた。そういう風に考えてしまう人は多いでしょう？そこで私は、自分はレーベル内では十分若いほうだし、自分が好んでいる、何かしらに対抗するような作品をリリースしていけば間違いないだろうと考えた。『女性をプラットフォームに乗せていくことに重点を置く』と宣言してレーベルをスタートして、それだけでもかなり幅広いアーティストと付き合うことになった」

2015年、Digital MuseからRix-Martinにコンピレーションアルバム監修の依頼があった。Digital MuseはEUと関係するチャリティで、11歳から16歳までの女性に向けて、アートを通してSTEM（科学・技術・工学・数学）分野に関心を持ってもらうことを目指すものだった。ほぼ女性アーティストで占められたコンピレーションだったが、リリースはされなかった。「膨大なお役所仕事に巻き込まれてしまった」と彼女は言う。だが、彼女はこの企画を通して、自分の手がけた音楽をリリースできている女性アーティスト達がまだまだ少ないことに気づき、女性をプロモートしていくというアイデアを持つに至る。翌2月、彼女はObjects Limitedの最初のアーティストとなるEva Bowanと契約を結んだ。ブライトン拠点のBowanによるEP「Ringwoodite」は、Karin Dreijerを思わせる独特で空虚なタッチのある、ゴージャスなエレクトロニックポップだ。「もっとエクスペリメンタルなものでも良かったかもしれない」とRix-Martinは言う。「でも、まずはレーベルをそっとスタートしたかった。レーベルを先に進めていくためには、その前に『ここにいる女性が今から前に進みますが、いいですか！』って2時間ほど言い続けられるようなプラットフォームが必要だった。今はもう、レーベルからすぐにリリースできる！」

彼女は、特に自身の音楽については自虐的な物言いをしていて「自分の作品はそもそもゴミみたいなものだと思うけど」と、彼女の自宅に向かう車の中で言った。これは彼女がドイツの音楽ブログで見つけたという、彼女の現状最新アルバム『Ghost On The Stairs』のネガティブなレビューについての話の前置きだった。「これまで聴いてきた中で最悪のものだった、と書いてあった」と、彼女は淡々と語る。「苦痛に感じる程のものだったみたい。ドイツの人は文全体を一つの言葉で説明するから、これは自分にとっては聞くのも辛い意見というだけじゃなく、心も苦しくなる内容だろうということがわかった。本当に嫌だった」。このアルバムの、心をざわつかせるようなアンビエント風のサウンドは、日常の中にある音と共に描き出されている。ダイヤルアップモデム、呼吸音、加工された声といった要素は、他の音から話し声を区別して聞き取ることが困難だというRix-Martin本人が持つ聴覚障害を反映したものだ。このLPに込められたアイデアは荒削りながらも、空想上の人格が作品内に存在していることを示している。憂鬱なストリングスにクジラの声、ぎくしゃくとした母音がどこか喜劇的な寂しさを掻き立てる収録曲”Siren”以外でも、そうしたものが感じられる。

「だから今は、少しは良い音楽を作ってやろうと思っていて」と、彼女は続ける。「ただ、いずれにしても、それが自分の作る音楽だし、そうそう変えられるものじゃない。それにこれは自分のレーベルだから、自分がやりたいことは何でもやる！」

運転中のParadinasは少々心配になったようで、彼女を励ますためにさりげない言葉をかけていた。

「きっと良くなるはずだと思うな」

「良くなると思う？Mike、そう言ってもらえて嬉しい」

「まあ、僕の予想だけど」とParadinasは照れ隠しをしながら左に曲がる。

「それがあなたの予想ですか」と、Rix-Martinはまるでどこかの校長先生のような調子で賛同できないふりをしつつ「素敵な予想ですね！」と言った。

「ありがとう」

Rix-Martinは14歳の時、地元のスカやパンクのギグに行き始めた。その中には、ブライトンの海岸沿いにある600人規模のヴェニューConcorde 2で行われたものもあった。彼女は日曜日ともなればそこに入り浸り、大概はビーチにいて、丸一日友人達と酒を飲んでいた。エレクトロニックミュージックも身近にあり、彼女の兄2人はヒップホップにのめり込んでいたものの、うち一人のLouieがRadioheadを勧めてきたという。「その頃、私のナン（キッズシッター）がAphexを聴いてたのを覚えてる。当時はMTV2で何をやってるのかをひたすら観て、それで多くの音楽に出会った。最近ではそういうことは難しい。ただ、偶然の出会いがあり、発見しては『あ、これは好き、これも好き』という感じだから」

Rix-Martinはハウスパーティーでより緊密にエレクトロニックミュージックに接することになる。当時のボーイフレンドだったブレイクコアアーティストShitmatがジャングルに傾倒していたため、彼女も同じくジャングルを好んでいた（特にジャングリストのUK Apachiが大好きだったという）。しかし、彼女がこうした集まりの中で聴いた中で、音楽的に非常に深いインパクトを受けたのはVenetian Snaresだった。「がっちりと心を掴まれたアルバムが『Huge Chrome Cylinder Box Unfolding』だった。以前は毎晩、寝る前に聴いていた。以前はいつもひどい悪夢か不眠に悩まされていたので、このアルバムは本当に落ち着くし、音のパーツそれぞれが本当に深く、感情的な作品だった」。彼女はアルバム1曲目の超ミニマルなラバーボールブレイクコアのトラック"Huge Chrome Peach”をプレイしてくれた。「このアルバムは何度も何度も聴いている」と言う彼女に、これが落ち着くトラックだと聞いて驚いたと伝えると、「わかってる、確かに変だと思う」と彼女は答え、そしてこう続けた。「でも、このアルバム自体は何というか、うーん、あまり言いたくない言葉ではあるけど『知的』なアルバムで。きっと分かってもらえると思う。本当にたくさんのレイヤーが重なっていて、色んな聴き方ができる。その徹底的な感じが、ある意味で落ち着いていると感じられるんじゃないかな」

僕がObjects Limitedの中で気に入っているトラックの中には、先述の例と同様、愛らしい瞬間が恐ろしげな音楽から立ち上ってくるような、そんな奇妙なコントラストを見せるものがある。RushのEP「MPC 7635」の収録曲”Bac Up rmx”は、デジタルのリードがヴォーカルとドラムをファンキーに結びつけるところに至るまでは、緊迫したヴォーカルとドラムによるフットワークだ。Rix-Martinが酷いつわりにインスパイアされて作ったEPの収録曲”The Void Consumes”は、ガスがかかったような音声シンセを、堅固でビッグなドラムの周りに漂わせた楽曲だ。Yoneda Lemmaの”Rainforest Mars”は、古代の機械をゼリーのようなパッド音で包んだトラックだ（この曲は昨年、Black Lives Matter運動とAlbert Kennedy基金へのチャリティとして制作されたコンピレーション盤『Object: Resistance』に収録されている）。

取材の数日前、Rix-MartinがTwitterに投稿したミームを見かけた。その内容は「ソーシャルメディアに集中するために心の健康を犠牲にした」というもので、彼女の自宅ラウンジで腰を下ろした時にもこの話題が出てきた。彼女の愛犬、ウィペットのReenieが、僕が今しがた食べ終わったマカロンの匂いを嗅ぎつけたのか、カーペットの上を跳ね回っている。Rix-Martinは自身のTwitterを「恐ろしくも過剰に公開された日記」と呼んでいて、ミーム以外ではBody positivity（ありのままの体型を受け入れようというムーブメント）に関するものや、Paradinasや子供2人が登場する身近なエピソード、そして『ツインピークス』の話題などをリツイートもしくは投稿している。社会や政治に関する話題も多く、最もオンラインで力を入れているのがLGBTQの権利、Black Lives Matter、交差フェミニズムなどの話題で、他者に起こった出来事にも関心を持つオープンさを感じさせる。レーベルとしての使命感と、それを補強するだけの説得力のある良識は、彼女が自身が属する「白人、中流階級、ブライトンという閉鎖空間」の外にいる人々をも含めた仲間意識へと自然に反映されている。

「つまり、私はとてもオープンな人間なの」と彼女は言う。「何かを恥だと思うこともないし、馬鹿げて見えるかもしれないから気恥ずかしいとか、もしくは、稀にあることだけど、良いことをしてるから気恥ずかしいと感じたこともない。Objectsをスタートする以前からTwitterではこういう発言をしていたので、自分は相変わらずなのにフォロワーが増えてる事がかえって妙に感じている位で、私自身も『あ、Guardianに寄稿してる人達にフォローされてる！』と驚いてる。自分のオープンさ故にそういうレッテルを貼られるわけで、もし、長いものに巻かれるタイプであったり、ごく普通であるように振舞っている限り、そういうレッテルはまず貼られないと思う」

Stud

僕は彼女に、そうした考え方は以前から長期にわたって持っていたものなのか、もしくはレーベルを始めることで考えがより明らかになってきたのかどうかを尋ねてみた。「トランス（性転換）に関する問題はレーベルを始める前には知らなかった」と彼女は答えた。「最初にレーベルを始めたときは、『じゃあ女性を取り上げてみよう』というだけだった。自分はお喋りで、いつも必ず誰か聞き上手な人と一緒にいるので、トランスの問題を知ることがなかった。トランスについては…別に”悪いことじゃない”という考えを持ってはいたけど、とにかく事情を知らなかった。ノンバイナリー（自身の性を限定しない人々）のことも知らなくて、Objects Limitedを始める前は『ノンバイナリーって何？』という感じだったから、人の話を聞く時間を持つようにした」

Objects Limitedのロゴは、何百年も前のアイスランドのシジル（魔術的な印）を取り入れたもので、農業、漁業、法的な争いなどの苦労を和らげるため、また場合によっては”ネクロパンツ（死人の皮から作ったズボン）”を作る時に使用されたシジルだ（Björkも「迷わない」という意味のシジルを左腕に入れている）。「このロゴは基本的には「男性から身を守る」という意味合いで、そこに蛇のマークを追加してもらうように友達に頼んだの。私、蛇が大好きだから！」

もちろん、このシジルがいつでも効力を発するわけではない。「男性からもデモが届くことがある」と彼女は言う。「彼らは次々と、週に4回くらいの勢いでデモを送ってくる。女性はそういうことをしなくて、デモを送ってきては『デモをお送りしてしまって恐縮ですが…』という感じだから、私も『謝らなくていいのに！』となるんだけど。こういう違いがeメールに出てくるのは面白いと思う。Objects Limitedは最近、Planet Muのサブレーベルになったのだけど、私がPlanet MuでA&Rを始める前は『男性からデモをもらったのだけど、彼は”あなたのやっていることが好きなので、もっと女性を音楽の世界に呼び入れたらクールだと思う。こちらが僕のデモです”という感じで。もう、”ああ、男性だなぁ”と思う。”何言っているの？”という気にすらならない』という調子だった。こんなことをやってのける”タマ”があるのは誰？もちろん男性！女性がこういうことをするなんて、イメージすら湧かない」

僕が彼女の家から去る少し前、Rix-Martinと僕はキッチンのテーブルに座っていた。彼女は青いポーチを持ってきて、その中身を出した。中にはたくさんの貴石が入っていて、僕の隣の椅子に座っていた彼女の娘がさっそく中身をチェックし始めた。

「これはローズクォーツ？」

「ローズクォーツだね」とRix-Martinは言う。

彼女の娘は続いて、緑色のマーブル状になった小さな石を選び、僕に見せてきた。テーブルの上はブルー、グリーン、ピンクでいっぱいになっていて、彼女はじっくりと”作業”に勤しんでいる途中のようだ。

「スモーキークォーツ！」

「私も10代の頃は石をコレクションしてた」とRix-Martinは言う。「趣味で人を判断しないで。私はクールなティーンエイジャーだったけど、同時に、格好悪いティーンエイジャーでもあったから」

Label of the month mix

Lara Rix-Martinが自身のレーベルから、Toxe、Laurie Spiegel、Klein、Via Appらによるエクスペリメンタルなサウンドのトラックをお届けする。

Tracklist /
Ziúr - Bud Dallas (Objects Limited)
Toxe - Blinks (Pan)
Anz - Loa (Chow Down)
RUI HO - Theia Impact (Drum Version) (Objects Limited)
Laurie Spiegel - Reson Arpeg (Unreleased)
Negroma - Body Memory (Self-released)
Lyra - Scrytch (Objects Limited)
Via App - Living Decoration (Bank)
Klein - Stop (Self-released)
Meemo Comma - Meadhead (Objects Limited)
RUI HO - Albafica (Dis Fig Remix) (Objects Limited)
Swan Meat - Phist (ft. 111x) (PermaInk)
Meemo Comma - Migrane (Objects Limited)