エルサレムとヨルダン川西岸地区（ウェストバンク）を繋ぐ文字通りのボトルネックになっている辺り、カランディア検問所からほど近くに、パレスチナの街アルラムは存在する。イスラエルとの行き来を分断する分離壁の厳戒態勢が最も厳しいのが、ここアルラムだ。まるで空を半分奪うかのように、有刺鉄線のコイルを乗せた打ちっ放しのコンクリート壁が高さ8メートルに物々しくそびえ立つ。2015年3月のある涼しい夕暮れ時に、重たいカバンを肩にかついだOdai Masriが辿り着いたのは、まさにこの場所だった。

Odaiは有刺鉄線に作られた秘密の切れ目のある箇所を見つける方法を知っていた。密入国業者に70シケル（約15ポンド）を支払って、はしごを持って来てもらった。はしごを登って、壁を乗り越え、そしてイスラエル側に滑り降りるために用意されたロープにしがみ付いた。が、そこで彼は滑り落ちた。

落下の瞬間は、時間が減速したかのようだった。不自然な着地と同時に、足が折れる感触があった。先に壁を乗り越えていた二人の男達に助けられて、足を引きずりながら近くの民家を通り抜けて別の通りへ出た。この場所で悠長に過ごすことは許されなかった、アルラムにイスラエルの見張り塔は無いものの、パレスチナ人の密入国を取り締まるためにイスラエル兵が頻繁に壁付近の道をジープでパトロールしているからだ。

エルサレムの通りに出ると、他の男達はそれぞれの仕事先へと去って行った。Odaiにも向かわなければならない仕事があった。あと数時間後には、彼のDJセットが始まる予定だった。港町のハイファまで向かうバスを見つけるべく道を急いだ。その前に医者を探す必要があったかもしれないが、ここイスラエル側で、ウェストバンクから許可証を持たずに来たパレスチナ人が診てもらえる望みは薄いと判断し諦めた。席に落ち着き、鞄の中を確認すると、落下の衝撃によって無残に割れたノートパソコンの画面と、修理ができないほど壊れた2台のTraktor用コントローラーに心が沈んだ。だが、引き返すことはしなかった。こんな状況でも、DJをする方法は必ずあるはずだ。

ハイファ近郊の森で開催されている野外パーティーに彼は無事辿り着いた。友人が添え木と布で折れた足を包み、そして何か痛みを和らげるものをくれた。パーティーはサイケデリック・ピクニックと謳われていたが、Odaiが借りたラップトップでプレイしたオープニングセットは真正面からのテクノだった。プレイを終えた時の気分は最高だった。怪我した足を休めるべく、ようやく座り込むと、パーティーの端々でヨガやジャグリングやジャムセッションを楽しむ人々をながめた。

ハイファで過ごした2日間の間に、彼の足は紫色に変わっていた。そろそろ家に帰らなければならない。幸いにも、ウェストバンクに入るのは出るよりもよっぽど容易い。彼はウェストバンク行きのバスに乗り、そして検問所では、お気に入りの技を使った。IDを忘れた外国人のふりをするのだ。シカゴから来たDJのEddieというのが設定だ、ハウスミュージックの故郷からウェストバンクにDJをしにやって来た。入れ墨にピアスの出で立ちも手伝ってか、Odaiはラマッラーから来たパレスチナ人のステレオタイプには当てはまらない。イスラエル兵はこの説明を買い、それ以上追求することなく通行許可の手振りで応えた。ようやく医者に怪我した足を診せると、ギプスをはめられた。

ツアーに出ていない時のOdaiは、ウェストバンク内で自分達のパーティーを運営するため、同じくらいの障壁を乗り越えている。彼らのローカルシーンは、パーティー遂行のためならばとことんエクストリームをやってのけるという評判を得ている。ダンスのためなら、兵士から身を隠し、深刻な健康問題もよそに、アーティスト達にパレスチナへ来るように説得するのだ。

僕がGideon Bergerと共にテルアビブのベン・グリオン空港に到着したのは、今年4月の爽やかな夜だった。ベツレヘムに連れて行ってくれる予定のSultanという名のおしゃべりなパレスチナ人のドライバーが迎えにきた。車に乗り込むと、シートベルトを締めるようにと指示された。見つかると警察に罰金を取られるらしい。Block9の片割れであるBergerの隣に僕は黙って座っていた。一方、彼は電話で何やら重要な案件を解決している様子で、神経をすり減らしているのが伝わって来る。この2日後に、彼は相方のSteve Gallagherと、Brian Enoらと共にクリエイティブ・リトリートを行う事を、ラマッラーで開催される第2回パレスチナ・ミュージック・エキスポ（Palestine Music Expo、以下 PMX）で発表する。先立って解決しなければならないデリケートな問題がいくつかあった。

僕の取材の目的は、第一にこのクリエイティブ・リトリートについてだったが、加えてパレスチナで育ちつつあるローカル・エレクトロニック・シーンについてもっと知る事だった。ウェストバンクのすぐ内側、ベツレヘムにあるBanksyのWalled-Off Hotelに到着するまで約45分のドライブだった。暗い丘の上にある眩しい光、エルサレム、の麓を通って、壁に開いたわずかな隙間に到着した。パレスチナに越える国境だ。車窓からライフルを持ったイスラエル兵の胴体が垣間見えた。僕らは手招きで通された。彼らの仕事は観光客を足止めすることではない。

ウェストバンクに入るや否や、運転手のSultanは少し演技がかった溜め息をして見せながらシートベルトを外した。理由を尋ねると彼は僕の方に向かっていたずらな笑顔で説明してくれた。「ここはパレスチナだからね、ここには自由があるのさ。」

Walled-Off Hotelに泊まり翌日Brian Enoと合流して、政治的緊張感の高いポイントを視察して回った。ヘブロンと東エルサレムだ。道中、緑色の丘に点在する見張り塔やチェックポイント、塀を目にした。

日が暮れるとラマッラーへ向かった。渋滞で詰まったカランディア検問所を抜ける。窓の外の巨大な分離壁を眺めながらEnoが「この壁の一番の目的はサッカーボールを集めることかもね」と言う。確かに有刺鉄線のコイルにはむなしく萎んだサッカーボールの数々が絡んでいて、その一つにツバメがとまっているのを見つけた。

ミュージック・エキスポ (PMX) の会場は、ラマッラーの豪華ホテルのひとつ、ザ・グランド・パークの傍らに建てられた巨大な黒いテントだった。初日の夜、お洒落なスポーツウェアや革のジャケットに身を包んだパレスチナ人の若者達が集まって喫煙したり談笑したりしていた。一見すると音楽フェスの様相であるが、PMXの焦点は彼ら観客ではない。地元の人達もギグを見にくることは出来るが、公にはパレスチナ人アーティストのためのショウケースとして、（主に英語圏の）業界関係者にパレスチナのローカルアーティストを聴いてもらい契約を交わす機会なのである。2017年のエディションでは、演奏した21組中、9つのバンドがレーベルとの契約を取り付けた。話を聞いた何人かのパレスチナ人アーティストは、PMXの西側へ向いた運営方針と短いセット時間に対して批判的だったが、その他の多くのアーティスト達にとっては新しい市場と幅広い観客に向けてそれぞれの音楽を届けることの出来る機会として歓迎されているようだ。

観客は明らかに音楽に飢えていた。僕らが到着した時には、イタリア−パレスチナ系ジャズフュージョンバンドのAl Raseefがクラウドを盛り上げていた。渋いクラリネットソロに近くに居た子達が手を挙げて喝采した。その後に続いたのは、パレスチナの伝説的なラップグループDAMのTamer Nafarが痛烈な歌詞で持って政治を批判する猛烈なセットを披露した。この爆発的なパフォーマンスの後、半分近い観客は帰ってしまったのだが、その夜の最も素晴らしいパフォーマンス（僕の個人的な意見だが）を、彼らは逃したことになる。

僕は前列の方へ、人を掻き分けながら向かった。サングラスに伝統的な白いローブ姿の二人組がステージに上がるところだった。彼らがZenobiaだった。ダブケ（dabke―近年ヨーロッパでもOmar Souleymanによって認知度を上げたレバントの結婚式音楽のジャンル）のメロディーをモダンなプロダクションテクニックで再構築させるパレスチナ人のデュオだ。これまでにもダブケの電子音楽版のようなものには触れたことがあったが、彼らの音楽はもっとトリップ感が強く魅惑的で、うねる様な遅めのテンポとダブ色の濃厚なベースラインが特徴的だ。

夜、ラマッラーの丘を見送りながら着く帰路は思いがけず寒かった。Brian EnoとZenobiaのセットについて話した。シンセサイザーの音色について、新しいパッチを探求すべきだと付け加えながらも、Enoも彼らのメロディーとスタイルに感心していた。DAMの明らかに政治的なラップと同じくらい、 Zenobiaの民族的な音にも政治的な面があると捉えることはできないだろうかと僕は気になった。翌日、Block9がクリエイティブリトリートの計画を発表した際、Brian Enoは彼自身のこのプロジェクトに対するスタンスについて次の様に語った。「政治的なメッセージに溢れる音楽を作ることが、このプロジェクトの意図ではない。パレスチナから出て行けとか、パレスチナに対する占領を辞めろだとか、そう言うことを叫ぶつもりはない。目的は、ここに生活や人々の喜びが存在すること、美があることを気付かせることにある。この地に美しさが存在していることを示すのが、最良の復讐になると思っている。」

翌日ZenobiaのプロデューサーNasser Halahlihに会うためにグランドパークホテルに再び向かった。ピカピカのロビーで彼を待つ傍、ミュージックエキスポの成果が早くも結実しているのをここで見て取ることができた。ある隅では、6人の若者達がノートパソコンを囲んで、ビートに耳を傾けている。煙を燻らせながら、そのうちの1人が饒舌にラップしていた。僕の隣の席では、3人の若いパレスチナ人ミュージシャン達が、年配の英国人男性が音楽ビジネス戦略について語るのを熱心に聞いている。

Nasserは到着するとエスプレッソを注文した。彼は前日のパフォーマンスの出来についてご満悦だった。37歳の彼だが、笑った時にできる目の際のシワ以外は年齢を感じさせない。彼はパレスチナでの電子音楽の創成期からシーンにいた。彼曰く、今でこそウェストバンクにDJシーンがあるものの、パレスチナ人によるシーンは元々は壁の向こう側、イスラエルで始まったと教えてくれた。

イスラエル北部のShefa-'Amrで育ったNasserの音楽への好奇心は、結婚式DJの仕事へと繋がった。結婚式が人々のお祝い事の中でも中心的な役割を果たす文化の中では、聞こえによらず稼げる仕事である。だが徐々に彼の関心は結婚式音楽の定番曲から離れて行った。テクノに傾倒するようになり、FruityLoopsの使い方を覚えた。

当時Nasserには、この類の音楽に対する情熱を共有することのできるパレスチナ人の仲間はいなかった。テルアビブに引っ越すと、サウンドエンジニアリングをヘブライ語で学んだ。ここでNasserはユダヤ教徒のイスラエル人たちと初期の電子音楽体験を共にした。「辛かったよ」と彼は言う。「僕のやっていることを、同じ言葉を話す人達に理解してもらいたい。」イスラエルでは人気の絶えないプログレッシヴトランスのトラック製作から曲作りに取り組むようになると、ヨーロッパのレーベルからいくつかのリリースを果たすことになる。

2010年は彼にとって突然訪れた転換期だった。Jazar Crewという、パレスチナ人たちのプロモータークルーがハイファのシーンで活躍する様になったのだ。彼らはNasserの音楽を聴き、初動期の彼らのイベントにNasserを呼んだ。「衝撃だったよ」と彼は語る。「長年の夢がやっと叶ったんだ。海外で僕の音楽が聴かれる様になっても、故郷の人々に聴いてもらいたいという想いがずっとあったからね。」

ここからNasserはもっと大きな目標を掲げる事ができる、パレスチナのDaft Punkになる事だ。別れ際、彼が着けているネックレスについて触れた。彼はAUX端子をネックレスにして首にさげていた。定番であればそこにあるはずのものは、鮫の歯とか、または「銃弾とか？」と彼が提案する。だが、銃弾よりよっぽど良いと僕は言った。「音楽が一番の銃弾だよ」と彼は答えた。

パレスチナのローカルシーンが産まれたきっかけについて、ローカルDJの誰に聞いても、必ず持ち上がるのがJazar Crewの名前だ。ヤッファで定評のあるクラブを運営しているMarwan Hawashはこう言う。「Jazar Crewは完全にゲームチェンジャーだった。パレスチナ人たちのナイトライフの変革を先頭切って率いているよ。」Nasserに会ったのと同じ日、Jazar CrewもPMXのためにラマッラーに来ていると言う情報を聞きつけ、彼らに会うべくダウンタウンへ向かった。

パレスチナは緑に萌えていた。ラマッラーは丘に広がる街だ。歩いていると突然建物の間から現れる、緑溢れる町並みの展望に驚かされる。瓦礫の間からアザミが生い茂り、舗装の割れ目から草が芽生える。

街の中心地に到着し、そこでJazar Crewの創始者であるAyed FadelとRojeh Khleifを待った。渋滞の騒音と暑さが容赦なかった。この地域のパンであるフラットブレッドが、拷問器具を連想させるキーキー音を立てる機械から吐き出される、パン屋の横で僕は待った。隣には、ピンクのスカーフを頭に被ったハーブ売りの老女が座り、売り物のハーブから小枝を取り除いている。一方では、完璧に着飾った男達がいい匂いをさせながらのんびりと歩いている。喧騒の中、ゆったりとした服をきた男が近づいて来るのが見えた。鼻ピアスに、何本か残した背中へと落ちるドレッド以外は剃り上げた頭という出で立ちだ。Ayed Fadelだった。彼は自己紹介をすると、クリエイティブパートナーのRojeh Khleifの待つ年季の入った彼の車へと僕を連れて行ってくれた。Rojehの出で立ちは黒ずくめに丸いサングラス、鼻ピアスと、まるでベルリンからそのまま連れてこられたかのようだった。

AyedもRojehもハイファのパレスチナ人家庭で育った。ハイファはRojehいわく、占領下パレスチナで3番目に大きな街だ。パレスチナ人で政治に関心のある人は、イスラエルという言葉を滅多に使わない。ガザとウェストバンクを除く地域については、「占領下パレスチナ」あるいは、約70万人を超えるパレスチナ人がその土地を追われた年号にちなんで、「48」と呼ぶ。

イスラエルに住むほとんどのパレスチナ人は、国土の北部から来る人間だ。彼らにとってハイファは、初めて自立して生活を送ることを許す格好の環境だ。ここで約15パーセントの人口を占めるパレスチナ人にとって、ハイファのリベラルな雰囲気とパレスチナ人とイスラエル人の間の確執が比較的少ないのが魅力だ。

二人が学校で知り合った当時パレスチナでは、宗教的なお祝い事以外にはパーティーをする文化はなかった。イスラエル人経営のクラブに行くと、軍隊のIDを見せるように求められた。パレスチナ人でイスラエルの兵役に従事する者は少ない、彼らは当然このIDを持っていなかった。バウンサー達がパレスチナ人を見分けるための技だとAyedは言う。「歓迎されていない場所、特にそれがパーティーだったとしたらなおさら、行きたくない。だから僕達は、クソ喰らえ、自分達のパーティーを作ろうと決めたんだ。」

レイヴが出来そうな秘密の場所を見つけ、友達のバンドを呼んだりした。初めのうちはレイヴやパーティーが何なのかを理解してもらうのに苦戦した、とRojehは言う。「最初は、みんな何のことか分かっていなかった。お祝い事もないのに、パーティーをする理由が分からないんだ。」他所で除け者にされるパレスチナ人達が、着るものや性的指向に関わらず、タバコを吸ったりお酒を飲んだりするか否かを問わず、歓迎されている気持ちになれるように、前もってゲストリストを作った。やがてJazar Crewは毎週木曜に、レゲエからトランスからダブステップまで様々なパーティーを開催するようになった。

現在彼らは、ハイファを拠点に洗練されたオーガナイズ活動を行っている。野外サイケデリックトランスパーティーのMukti Gatheringもそのうちの一つだ。またJazar Crewの中心イベントは、Nicolas JaarやAcid Arabといった海外アーティストを召喚する。それから、現在Rojehの住むベルリンとの繋がりを活かして行われるHararaのテクノイベントなどだ。3年前にクルーはKabareetという名前のクラブをオープンさせた。パレスチナ人のミュージシャン、アーティスト、デザイナーやフィルムメイカーにとって第二の家のような場所となっている。「僕達パレスチナ人はいつも場所やクラブを借りてきた、イスラエル人の経営するクラブだ。自分たちのスペースを持つというのは念願だった、僕達の城だ。」

パレスチナ人の文化と自律性を強調するクルーとして、政治はJazar Crewにとって無視することのできない問題だ。最近の抗議活動で50人以上のガザ市民がイスラエル兵に殺された際には、Kabareetは追悼の意を示し週末のパーティーをキャンセルした。だが、ほとんどの場合、政治的なメッセージは最小限だ。「僕達はパレスチナの旗を掲げることは決してしない。自分達の存在自体がステートメントだからだ。Kabareetに来る人はみんな、何でここに来るのか分かっている」とAyedは説明した。

彼は続けた。「僕たちは民族として、本当に分断されてきた。この活動は、共通の力、共通の考え方、共通の目標を持つために始めたんだ。これは存在の問題だ。僕達はダンスフロアを手に入れた、僕達はシーンを手に入れた。」Jazar Crewがハイファにこのような環境を作り上げた後にAyedが改めて思ったことは、「長い長い間、これが失われていた」ということだった。

Jazar Crewはハイファのシーンとパリ、ベルリン、ロンドンとを繋ぐことに貢献してきた。だがそれ以上に、パレスチナ人の中でのコミュニティーの繋がりを作ってきたことが最も大きい功績だ。1948年の追放以降、ガザとウェストバンクだけではなく、様々なコミュニティーが分断されてしまっていた。パレスチナの政府統計によれば、パレスチナ人の約60％がパレスチナ領土の外側、すなわち北部及び中部イスラエル、ヨルダン、レバノン、シリアなどに暮らしているという。彼らはその物理的距離と追放の体験そのものの相違により分断されている。

Jazar Crewが最初にコネクションを作ったのは、テルアビブのパレスチナ人の多く住む地区ヤッファにある Anna Loulouというバーだった。様々なバックグラウンドを持つ人間から成るチームによって経営されているバーながら、このバーはパレスチナ人アーティスト達にとって重要な場所となった。オーナーの一人であるMarwan Hawash自身も、ウェストバンクとイスラエルの間で分断を経験して育った。彼は言う。「ラマッラーとベツレヘム（いずれもウェストバンクの中）で過ごした子供時代、周りから羨望の眼差しを受けたのを覚えている、まるで僕の人生が彼らのよりも簡単であるかのように。でも、イスラエル側に行けば、イスラエル人達にはパレスチナ人にしか見られなかった。僕らは歓迎されていなかった。どこに行っても、よそ者の気持ちだった。」

今、KabareetとAna Loulouは、協力関係の下、ヨーロッパからDJを召喚するフィーをシェアしながらアクトを共有している。「一緒だとさらに強いよ、」とMarwanは言う。「自分達どちらか一方だけでは大きなアクトを負担するのは難しいからね。」

残念なことに、イスラエルに住むパレスチナ人にとって、数キロ先にあるウェストバンクからミュージシャンを呼ぶよりも、ヨーロッパのアーティストを呼ぶ方が簡単だ。ウェストバンクに住むOdai Masriの様な住人は、イスラエル側に来るにあたって許可証を求められ、往々にしてこの許可証の発行自体が拒否される。壁を乗り越えることをOdaiはものともしないが、この行動が関わる全ての人達をリスクに晒すということも認識している。多くの人は、ギグのためだけに不法入国の危険を冒すことに消極的だ。

ラマッラー側の者がハイファ側に来られないとしても、少なくとも逆は可能だ。ウェストバンクの住民がその外に出るために許可証を要するのに反して、Jazar Crewの創始者達の様なイスラエルパスポートを持つパレスチナ人がパレスチナに出入りするのは自由だ。彼らはこれまでに行った最も大きな公演の際に、パレスチナシーンの三片を繋くことに成功した。

2017年にJazar CrewはNicolas Jaarをブッキングする決意をした。チリ系アメリカ人プロデューサーとして知られるJaarであるが、彼のルーツはチリにたどり着いたパレスチナの民族である。チリには、アラブ世界の外で最も大きなパレスチナ離散民のコミュニティーが存在しているのだ。（また、Jaarという名前はベツレヘムにルーツを持ち、何百年も前から存在していた。）キャリアの初期にはテルアビブで何度かパフォーマンスをした事もあるJaarだが、その後彼はイスラエルで演奏することをボイコットするアーティスト集団に加盟した。Habibi Funk、Acid Arab、Roger Waters、Brian Enoなど数々のアーティスト達がその政治的な態度をはっきりと公言してきた一方で、あえて言葉にすることはないJaarであるが、彼の不在そのものがはっきりとしたメッセージを発信していた。

Jazar CrewがJaarを口説くにあたっては、それなりの時間と慎重さを要した。まず彼らは、自分達が何者なのかを説明する丁寧なメールをしたためた。そして、テルアビブでJaarのマネージャーに会う機会を得ることができた。そうこうしてようやく、Jaar本人がハイファを訪問してくれることになり、クルーと実際話をし、新鋭レゲエバンドのTootArdを一緒に観た。数ヶ月の交流を経て、Jaarは3つのギグを行うことを決めた。ただし、いずれもパレスチナ人が運営するヴェニューでプレイするというのが条件だ。ラマッラーで一度と、Kabareetでもう2公演、いずれも250人規模のギグが実現した。これほど小規模なギグはレアとしか言えない、Jaarは普段は1000人を超える観客に向けてプレイをしている大物だ。

Kabareetでのギグの9月27日、Jaarはそのセットを彼のアルバム『Sirens』に含まれる、レバノンのミュージシャンMarcel KhalifeとOmaima El Khalilの朗読によるパレスチナの国民的詩人Mahmoud Darwishの詩をサンプリングしたアンビエントな音色で開始した。だが彼はこの後、思い描いていたセットからかけ離れたことをする決断をする。後日彼はチリのウェブ媒体であるPoustaに、この日の事を次の様に語っている。「イントロを10秒くらいかけてからすぐに気付いたんだ、この人達が求めていることは、解放なんだって。」そこで彼はセットをパーティーモードに切り替えた。「時と文脈から解放されながらも、極限にその根幹の痛みに深く結びつく様な」モードと彼は説明する。彼はこの時のプレイを、「これまでの人生でのハイライトの瞬間」と呼んだ。Kabareetでのプレイの終わりには、お気に入りのトラック"Mi Mujer"をかけ、「ニコ！ニコ！ニコ！」という声援に見送られてステージを去った。

このコンサートは、パレスチナのシーンで一大出来事だった。Ramallahでのパフォーマンスについて、Marwan Hawashは「僕の人生で最も感激した音楽体験」と語った。Jaarにとっても同様で、Kabareetで開催されたインディペンデント映画祭の日、単に"Jazar Crew"とFacebookで告知されたイベントでサプライズDJセットを披露した。Ayed Fadelはこの時のことを思い返して笑った。「Jaarが今プレイしている！今！」と慌てて友人達に電話をかけるハイファのクラバー達。あるグループは遠くテルアビブから噂を聞きつけて、丁度Jaarの最後の曲がかかる瞬間にKabareetに辿り着いたという。

パレスチナのシーンは、ウェストバンクで根付くよりも前にイスラエルで開花した。それはハイファ周辺で謳歌されていた比較的自由な雰囲気と、出入りの自由、外国文化の受容とが起因している。だが徐々にJazar Crewと献身的なローカル達の尽力により、パレスチナ人はウェストバンクの中でも独立したシーンを築き上げ始めた。

ベツレヘム出身の25歳のエンジニアであるLaith Al Bandakは、2014年にオンラインラジオ番組としてRadio Nardを始めた。Nardとはアラビア語でサイコロの意味だ。「とんでもなくランダムだから」サイコロなのだ、と彼は言う。ムライタニアのブルース、べドゥインの民謡、サイケデリックトランス、あるいはテクノ、何がかかるかは予測できない。メインストリームでない限り、彼らはかける。「人々がリクエストしない音楽」というのが彼らのモットーだ。Laithにとってこのラジオ番組は、パレスチナの文化を世界に発信する術だ。「これは武器なんだ。人々の魂に届くためには、耳を通してが早いんだ」と彼は語る。

この数年、Radio Nardはベツレヘムとラマッラーでパーティーを開いて来た。PMXの2日目の夜にも、彼らはひとつパーティーをオーガナイズした。中心地から急な坂を下ってステンドグラスの窓に鉄格子のはめられた福音ルター派教会の横を通り過ぎ、僕はそのパーティーに向かった。特に何を守っているわけでもなさそうな有刺鉄線の塊の通り向かいに、Radio Barはひっそり佇んでいた。石の壁に守られた、小洒落た場所だった。大きな庭があり、柔らかな黄色い明かりに照らされていた。

夜の9時頃になり、若い観衆が集まるのを興味深く眺めていた僕は、DJ Sotofettの"Nondo"のシンセとリズムに心惹かれて店の中に入った。アフリカ音楽に影響を受けたハウスでLaithがフロアをウォームアップしていた。その夜、パレスチナシーンのほぼ全てのプレイヤー達が、DJだけでなく、顔を出した。この日一番盛り上がっていたセットは、ヒップホッププロデューサーのMC Haykalによるプレイだった。トリッピーなヒップホップ、ダンスホール、レゲトンの選曲を、突然テンポを変化させながら、彼本人によるラップを交えながらプレイした。盛り上がりの絶頂では、100人を超える人々が、汗をかきながら思い思いに、ブースの後ろに灯されたたったひとつの赤い照明の下で踊っていた。

そして丁度真夜中の12時を過ぎると、音楽が止まった。ウェストバンクでは、厳しい警察による規制により、これ以上遅い時間に大きい音をかけることが禁止されている。ここで終わると思いきや、パーティーはチルアウトへと発展した。音楽が止んだ数時間後も、話し続ける人々の暖かい輪がガーデンに広がっていた。まだ踊り足りないという者のために、近くの家でアフターパーティーが行われていた。僕が朝5時にようやくアフターパーティーを後にした際には、コアなクラウド達がまだ、うっとりとディープハウスで踊り続けていた。アフター特有の雰囲気だ。

翌日、Radio Barに戻った。ここはローカルシーンのハブとして機能する数少ないスペースのひとつだった。午後の明るい日差しを受けて、昨夜のパーティーで見かけた顔ぶれが、子供や犬も走り回る中、のんびりと過ごしていた。僕はここに、あのOdai Masriに会いに来た。アルラムの塀を飛び越えた日から3年が経った今、パレスチナのシーンがウェストバンク側でどの様に発展して来たかを聞くのが目的だ。

話を聞くために静かな場所を探していると、Odaiはいろんな人に話しかけられた。彼らは皆、Odaiのことをババ、すなわち父さん、と呼ぶ。親しみと、彼のローカルシーンを育てて来たその面倒見の良さに敬意を払う故についたあだ名だ。2010年に彼はウェストバンクで「良質なエレクトロニックミュージックがかかる」ヴェニューを開いた。その数年後、Jazar Crewがハイファからウェストバンクにパーティーを持ってくる様になった。初期のパーティーでは、クルーはハイファから観客も一緒に連れて来た。ローカル達に、アンダーグラウンドクラブでどうやって楽しむかと言う手本を見せる必要があったからだ。

2012年にOdaiのヴェニューはパレスチナの公権力によって閉鎖された。理由は、ここでかかる音楽が理解を得られなかったためだと彼は認識している。サタニズムとの悪評を招き、男女が一緒に踊っている事が受け入れられなかったのだと彼は分析する。閉鎖によって深く落ち込んだ彼だったが、家族の支えもあって再びイベントをオーガナイズする様になった。

ウェストバンクで活動するDJやプロモーターにとって、いくつかはっきりとした問題がある。真夜中には音楽を止めなければならないので、大体のパーティーは日中に開かれる。ヨーロッパでツアーをしたいDJ達にとって、ビザの取得は金銭的にも行政事務的にも頭を抱える問題だ。国連加盟国の約3割の国がパレスチナを国家として認めておらず、Henley Passport Indexという旅行の自由度をランキングしたインデックスによれば、パレスチナは100の地域中96位。アフガニスタン、イラク、イエメンに次いで自由度が高いという評価だ。

海外アーティストにパレスチナへ来てもらうことを説得することそのものが難しいのだと、シーンでもずば抜けて尊敬を集めるテクノセレクターのSama Abdulhadiがバーで説明してくれた。「私たちは壁の向こう側にいるから。皆んなイスラエルが掲げる、『パレスチナは危ない！皆んな殺される！』という警告に怯えてる。でも一度壁を越えてパレスチナへ来てみれば、太陽の下でのんびりと生きている私たちに出会うんだけどね」と彼女は語った。

そんな状況の中で実際にパレスチナに来たアーティストの一人が、ダブステップのパイオニアEl-Bだった。彼は2013年にSnowBarという場所で開催された野外パーティーのヘッドライナーとしてやって来た。Odaiはこの時のイベントを、ウェストバンクのシーンが一気に洗練された契機だったという。彼はヨルダンのアンマンに友人を送り込み、まともなCDJを運んできてもらった。ほとんどのローカル達がEl-BのプレイするダークなUKガラージやダブステップに親しんでいないことを踏んで、パーティーの数ヶ月も前から色んなローカルヴェニューのサウンドシステムで彼のプレイリストをかけて準備を重ねた。

このゲリラマーケティングは功を奏した。700人以上もの観客が集まったのだ。5年経った今でもEl-Bは当時のことを興奮気味に振り返る。電話インタビューで彼はその時のことを話してくれた。「ヤシの木や間接照明があって、すごく洒落てたよ。皆が一番のお洒落をして来てた。女の子はめかし込んでたし、野郎達はシャツを着て、上品だった。自分が予想していたのは、廃墟のウェアハウスに集まるファンキーなクラウドだったから、全く拍子抜けした。でも、それは気持ちの良い期待の裏切りだったよ。逆境でも楽しんでいる人達を見るのが僕は大好きだからね。」

そのギグ以来、Odaiの家族に暖かく迎え入れられた経験から、El-Bにはパレスチナの置かれた状況についての個人的な思い入れが生まれた。故郷に戻ってから、周りの友人達に、この確執の歴史について伝えようと努力した。「パレスチナを離れる時、彼らと兄弟の様な絆を感じながら帰って来たんだ。これまで教わってきた事やニュースで見てきた印象をまるで覆されたよ。」その後、Sam Bingaや、Exit RecordsのSinistarr（ローカル達はどうやら早いBPMを好む様だ）などの他のDJ達もラマッラーを訪れた。

シカゴでプレイしたことこそ無いものの、Sam Bingaはパレスチナのシーンを、シカゴのハウスのルーツに重ね合わせる。ダンスミュージックが力強い政治的メッセージを内包しつつ産まれた時代だ。「ハウスミュージックは抑圧の状況に置かれた人々から産まれたんだ。ウェストバンクはまさに抑圧の下にある。だから、そんな状況の人々のために西側に住む僕達にとっては当たり前のこと、すなわち、踊りに出かけるという事をサポートできるのは光栄だよ。」

成功体験の裏側には同じ数だけ、ラマッラーが対面している悲惨な状況を痛感させられる体験がある。2017年のカウントダウンでプレイするはずだったドイツのディガーHabibi Funkのショーは、トランプによるイスラエルの首都としてのエルサレム承認に反対するデモの鎮圧のため、イスラエル軍がラマッラーに進軍したのを理由にキャンセルされた。Odaiが彼のお気に入りのミュージシャン、イタリアのラウンジ・ダブアーティストSpy From Cairoをブッキングした際には、ハンガーストライキを行うパレスチナ囚人達の行動に触発された暴動が原因でキャンセルを余儀無くされた。Spy From Cairoを呼ぶために3年も前から準備をしていたOdaiにとってこのショックはあまりにも大きく、心臓発作を起こして３日間入院するほどだった。Spy From CairoはハイファのKabareetとヤッファのAna Loulouでプレイすることが出来たが、ウェストバンクでのプレイは結局未だ叶っていない。

Radio Barのうららかな庭でくつろぐ最中、今まさにこの瞬間に、この場所から10キロも離れていないカランディア検問所で暴力的な衝突が起きているとOdaiは教えてくれた。これは毎週金曜の午後の恒例行事となっており、パレスチナ人、特に若い男達が、イスラエル兵に向かって投石をし、イスラエル兵が催涙ガスで応戦するというものだ。こんな抵抗で何かが変わるとは誰も期待していないが、イスラエルに向けて、パレスチナはこの現状に不満であるということを念押しするための行為なのだ。初めにこれを知ったときは、そんな闘争が起きている現場のすぐ近くで、呑気にビールを飲んで電子音楽を聞いているのは不謹慎なのでは無いかという気がした。だが、ここでやっていることも、また別の形での抗議という捉え方もできるのではないかと思えて来た。この闘争の終結はそう簡単にはやって来ないが、その間にもパレスチナの人々だって生活していく必要がある。イスラエルの戦略的な抑圧に怯まずに、豊かで文化的な暮らしを送ることがまた、抗議になるのでは無いだろうかと。Odaiは言う、「そりゃあ心が引き裂かれる気持ちだよ、でも一体それについて何が出来るだろうか。僕達にはどうにも出来ないんだ。僕達は生きていかないと行けない。僕は暴力は大嫌いだ。自分が銃を手にしたり、誰かを殺すことなんて想像もできない。誰にだってその人自身の抗議の仕方があっていいと思う。そして、これが僕の方法なんだ。」

2018年6月22日、パレスチナのシーンにとって、かつてなく注目を浴びたパーティーが開催された。4月にプロモーター達と会った同じあのガーデンで、Boiler Roomセッションが行われたのだ。Jazar Crewが、Odai Masri (Oddzとして) やSama Abdulhadi、それから地元のトラックメイカーやラッパー達を交えてプレイした。カメラが回っている状況と言うのは、パーティーでDJが最もハマるプレイをする公式とは言えないものの、ラマッラーでは違った。クラウドはやる気だった。踊る人々の姿の中には、パレスチナに対する西側のステレオタイプに真っ向から疑問を投げかける様な意思すら感じられた。上裸にレザーストラップを身に付けた男性や、ニカブと呼ばれるベールから覗く目に肩出しのセクシーなトップスを着た女性。Jazar Crewのショーの最中コメントセクションには、こんな言葉が読めた。「へえ、これがテロリストって呼ばれている人達？」

Boiler Roomは、OdaiやJazar Crewと密接な連携をしながらこのプロジェクトを実現させた。Ayed Fadelはこう語った。「ようやく誰かがパレスチナの電子音楽にスポットライトを当ててくれた。音楽を通じたパレスチナ問題に対するサポートだよ。」

このイベントのオーガナイザーでありリサーチャーでもあるDebora Ipekelは、ラマッラーでBoiler Roomセッションを行うことについて政治的な意味合いが根元にあることを認めつつも、前提にあるのは音楽であると強調した。「音楽的に興味をそそるものが無ければ、この場所でショーを行うことを決めたりはしなかった。パレスチナだからと言うだけで、ここでショーをやったわけでは無い。」

ウェストバンクでの最後の夜、Murad Castleの外に集まる若いクラウドと過ごした。Murad Castleとは、1617年にオスマン帝国の要塞としてベツレヘムの郊外に建てられた城だ。大多数のクラウドは、Yasmine Hamdanというオルタナティブなアラブ音楽シーンで人気を集める歌手が目当てだった。（ジム・ジャームッシュの2013年の映画『Only Lovers Left Alive』で取り上げられたことで、彼女のインディーシーンでの存在感は確固たるものとなった。）僕はHamdanを観るのを楽しみにしていたが、この日の目的は閉めのアクトのSama Abdulhadi、あの日Radio Barで会ったテクノ・プロデューサーのセットを聴くことだった。

中にはいると1000人以上の人々が古い石畳の中庭に据えられたパイプ椅子に座っていた。人混みを掻き分けOdai MasriとSama Abdulhadiのいる前方へ向かい、彼らの隣に座った。2人は古くからの友人だという。彼らはこっそり楽屋に持ち込んだヴォッカをプラスチックカップで分け合って飲んでいた。この由緒ある会場には、バーは無かった。

厳かに、Hamdanがバンドを引き連れてステージに上がった。赤いスカーフを被った彼女は、アラブ音楽によく用いられるのメリスマの声楽技巧で、ゆっくりと歌い始めた。間も無くギアを一段上げたかと思うと、ドラマーがトリップホップのビートを刻み、赤いスカーフを脱ぎ去りキラキラと水の様に光る衣装を下にまとった彼女は、ロックガールかベリーダンサーの様に踊り始めた。

メリスマ的な四分音に彩られたインディーロックとエレクトロニカとアラブ音楽の融合には凄まじい効果があった。観客のほとんどが頭を振り足でリズムをとっていた。座って聴いているのが不自然な気がしてきた。突然、振りたったかの様に隣にいたSamaが立ち上がり踊り始めた。何人かの友達も彼女に続いた。一番端の席で誰の邪魔にもなっていなかったにも関わらず、セキュリティーの服を着た大男が二人やって来て、彼女に座る様に促した。彼女は冗談っぽくそれを拒否した、彼女はDJだったし、なんで踊ったらいけないの？と。その場に緊張が少し走った。

僕は写真を撮るのに集中していたが、ふと後方を振り返ると、今や50人以上の観客が立ち上がってSamaと一緒に踊っていた。セキュリティーはこれを良しとしなかった。セキュリティーのボスが出て来て、観客に座る様に大きな声とジェスチャーで促したが、観客は次々に踊り始めた。一曲歌い終えたHamdanがここで事態を収束させた。「みんな、なんでそんなに遠くにいるの？前に来て、もっと近くに」とアラビア語で彼女は囁いた。

途方に暮れるセキュリティーをよそに、観客は席を立ち皆ステージの前に詰め寄った。Hamdanは僕らに小さな笑みを投げかけると、彼女の一番のヒットを歌いだした。観客は大きな声援とダンスで応えた。僕の方を見てニヤリと笑うSama。必要なのは誰か一人が立ち上がること、という時もある。

Samaは小柄で、人懐っこく、良く笑う。彼女は9年近くテクノDJを続けている。その前はブレイクダンスをして、ヒップホップをプレイしていた。ベイルートとアンマンでサウンドエンジニアリング（専門はグラニュラーシンセシス、すなわち音の粒子化と再合成について）を学んだのち、ラマッラーのシーンに戻って来た。それ以来、Jazar Crewの最初のパーティーからプレイし続けている。現在はパリに在住しており、ウェストバンク出身のトップDJとして世界中でプレイしている。

他の多くのパレスチナ人アーティスト同様、Samaもまたその出自のアイデンティティー故の複雑なジレンマを抱えている。一方では、自分の産まれた国の文化や価値を知ってもらうことに喜びを感じている。初期のリリースの"The Beating Wound"では、ガザの戦地でのフィールドレコーディングをサンプリングした。また、Resident AdvisorのDJページでパレスチナが国籍としてリストされていないことに最初に気づき、それを申し出たのも彼女だ。

彼女は自身の音楽大使としての役割を、真剣に受け止めている。ベルリンやパリでプレイすると、人々は彼女にパレスチナについて聞きたがる。そういう時、彼女は優しい声でこう説明するのだ。「もちろん、イスラエルという国は知ってるでしょ？私たちは、彼らを困らせている人たちなの。私たちがテロリストなの」と。状況を良く分かっている人たちもいる。Samaもプレイした今年のグラスゴーでのRiverside festivalでは、連帯の意を示すべくJackmasterがパレスチナの旗を掲げてくれた。

パレスチナ出身というバックグラウンドが少なからず彼女の音楽性に影響を与えていることは確かだが、彼女はその国籍だけに焦点が当たることに不満を感じている。彼女を取り上げた記事が近年数多く書かれたものの、どれもが「女性のパレスチナ人DJ」という角度から書かれたものだった。「このことを自分の武器にもしているけど、3時間のセットをプレイし終わった時に、お客さんに言われる感想が、『女性なんだね、かっこいい』とか『すごい、パレスチナから来たんだ』とかばかりだとげんなりする。音楽の感想は？って。」

Yasmine Hamdanがパフォーマンスを終えると、SamaがDJセットの準備を始めた。ステージに上がってマイクに向かった女性が、Hamdanの歌を讃え、そして公演の時間が押したために続くDJセットの時間が取れないという事をアナウンスした。Samaは5分だけプレイし、もっと聴きたい人は近傍で行われるアフターパーティーで続きをどうぞ、ということだった。

結局、5分すらプレイすることは許されなかった。キックが鳴り始めたところで1分もしないうちに誰かが電源を落とし、音楽は虚しく止んだ。怒りに満ちた表情でSamaは機材を片付けた。観客が踊り出したことを面白く思わなかった主催者による嫌がらせだと思うと後々彼女は話してくれた。騒音の苦情が心配なのではないかとOdaiは言った。「だとしても、こんな事は許されるべきじゃないよ。本当に腐ってる」彼は言った。

ぞろぞろと観客達はMurad Castleからそれぞれの車に向かった。皆がアフターパーティーに向かう雰囲気で、乗り合い出来る車を見つけては席に乗り込んで行った。Radio NardのLaith Al Bandakと同乗することになった僕は、暗闇の中疾走する満杯の車に揺られていた。彼はカーブも坂道もスピードを落とさず突き進むので、もし対向車が来たなら確実にぶつかっていただろうと思う。

オリーブ林がキラキラと建設現場の明かりに照らさせる横に突然現れた駐車場にやって来た。車からワラワラと降りる僕たちを迎えたのは、Disco Layalだった。ここはイベントスペースで、結婚式場であり、カジノであり、ベリーダンスバーだと誰かが説明してくれた。（薄暗い階段に飾られた肌を露わにした女性の写真の数々から、ベリーダンスバーというのが最も的確な説明という気がした。）

否定しようもなく、ケバいセンスの内装だった。八角系のスペースにミラーボールが光り、ビカビカの照明と、場違いなデジタル時計が目に入る。それに反して、想像できないほどの盛り上がりだった。ダンスフロアは四肢でうごめき、2人入れば丁度良いサイズのDJブースには5人のDJが立っていた。最初の1時間はLaithとOdaiがバックトゥーバックでプレイした。大胆なエフェクト使いで、キックをノイズで掻き消しながらクラウドを焦らしに焦らし、ここぞという所で戻すという具合だ。聴き分けることができたのは1曲だけ、Daniel Averyの"Water Jump"という曲だった。サイケデリックな脈打ちとワープする様に消失する低音がこの日のエネルギーを良く表していた、すなわち堕ちる寸前の恍惚感だ。1時間のうちに、ジュークの様なスキップするハウス、インストゥルメンタルのグライム、ハードなテクノとワイルドにジャンルを跨ぐ音楽が観客をワイルドに盛り上げた。それでもまだ真夜中を過ぎたばかりだった。

Sama Abdulhadiがブースに入ると、彼女はダンスフロアをよりディープなテクノのグルーヴへと導いて行った。時々彼女の方を見上げると、目をつぶってゆらゆらと揺れている。「踊っている時というのは、私にとって全ての怒りを手放す時なの。テクノは感情をコントロールする音楽ではない。ただ目をつぶって、周りで起きている全てを忘れて、そしてダンスに身を任せる。パレスチナ人の私たちには、これが必要なの。本当に疲れているから。」

彼女に、ここで踊っている人達が音楽に求めているものは何なのか聞いてみた。「現実を忘れられるだけの自由」と彼女は答えた。「外では銃撃戦が起きているかもしれない、でもこの中は別世界、火星に居る気持ち。確かにそれは逃避だけど、良い現実逃避。自分達のリアリティーは自分達でクリエイトするの。壁の中にいるということを忘れられる真夜中の数時間。」セットの2時間目に差し掛かる中、観客はトランス状態に居た。僕はパレスチナのシーンのありとあらゆるDJやプロモーター達の顔を見た。皆がそれぞれ、同じ満足の表情を浮かべて居た、それは勝利の表情だった。

別れの挨拶を慌ただしく済まし、ウェストバンクをついに後にするためタクシーに乗り込んだ。イスラエル側へと越えるチェックポイントを通過する時、運転手が煙草の火を消しながら僕に言った。「さあ、パレスチナを去る時だ。シートベルトを締めな。」

For more on the music scene in Palestine, read Tom Faber's feature about the recent creative retreat at the Walled Off Hotel in Bethlehem.